RINOの何でも帳

頭の中をアウトプットする雑記帳。

ゆる筋トレとゆるウォーキングとゆるランニング

最近はすっかり日差しも強くなって日焼け止めが欠かせないですがお散歩にはもってこいのカラッとした空気がとても気持ちがいいです。

最近また家にこもりがちでしたが、やっぱり外の空気を吸うのは良いですね。

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木陰が涼しくて気持ちが良いです。

 

それから、腹回りがなんとかならないもんかとスクワットと腹筋を50回くらい休み休みやってます。

昔はそれくらいの回数ですぐに凹んだお腹もなかなか脂肪が取れないお年頃に差し掛かりもう少し回数とか負荷を増やした方が良さそうです。

筋トレも良いですが折角晴れた日が多いので有酸素運動をメインにしていこうかなと考えて早速ランニング用の靴を揃えました。

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ネオンピンクが可愛いプーマのランニングシューズです。

ムラスポで2000円でした。

これで近所の公園や少し離れたところにある河川敷などをほぼ歩くような速さでゆっくりと走っています。

これがまぁすぐバテる事!

いかに普段運動不足かを思い知らされます。

でも、やらないよりはマシだと言い聞かせて出来るだけ走るようにします。

 

深い人間関係というのも心地よいなと感じています。取り繕うのをやめた結果。

以前は浅い関係しか好まなかったのですが、最近になって深い人間関係というのも心地よいなと感じています。

おそらく前は深く付き合って自分のアラを見せるのがとてつもなく嫌だったんでしょうね。

つまり自身の良くないと思っている荒々しさや醜悪な感情やとてつもなく打たれ弱いところ、自分の失敗や恥ずかしさなど、そういったところを見せて嫌われる事に耐えられなかったんでしょう。

しかし、今となっては「私ってとても怒りっぽいし嫉妬深いし豆腐メンタルだし勘違いしまくりのドジっ子だしかなり抜けてるとこもあるけどまぁこれも自分だわな!つか大雑把なO型だし、適当でええやろ!ガハハハ!」みたいな感じで過去の自分では考えられないくらいに堂々と毎日を過ごしています。

そんな私と気の合う人や「しょうがないから付き合ってやっているんだぞ」という大変奇特な方々に囲まれていて幸せな気持ちで居られる時間が多くなりました。

では何故こう深い関係の人と一緒に居られるかというと上辺だけで取り繕っていた自分が崩壊したからでしょうね。

 

取り繕っていた自分も紛う事なき自分ですし、当時はそうでなければ生きていけないと思っていたので特段無理しているつもりはなかったのですがやはり本来の自分とかけ離れていたのでしょう。

ガッツリと色んな事が起こりました。

色々揉め事や面倒な人間関係も多くありましたし、内面的にも心苦しい時間が続きましたが今や遠い過去の事。

結局は素直に自分として生きるしかないと腹を括ってガツガツと環境作りや人との関係を見直したり自分の生活スタイルを変えたりしたら徐々に今のように気楽になれたのです。

 

なので、悪いと思っている時期はもしかしたら素直に自分として生きるきっかけになるかも知れないという事です。

早めに抜けるには私の場合はとにかく色んな人に助けてもらう事や然るべき機関へ足を運びサポート体制を作ること。

そんな体力もないときはひたすら寝たのが良かった。

それから私のままでいて何が悪い!と半ば開き直って生活した事でしょうか。

最低な時期は必ず抜けますから。

たまに消えて無くなりたいとかそんな気持ちが浮かんできたら、それは心が疲れきっているのでもうなりふり構わず寝る。

また次の日も辛かったらまた寝る。

三年寝太郎っていう童話がありますけど、主人公がお母さんを亡くして三年寝っぱなしでその後信じられないくらい活力が漲って村に水路を引いて村を大飢饉から救う話ですが、個人的な解釈として到底立ち直れないであろう事が起きて心身共に消耗して体も動かず気力すらない時人間はもう寝るしかないし、しっかり休んだら動けるようになるからという話だなと勝手に思っています。

 

悪い時期はとにかく休んで回復したらガツガツと動けば良いんです。

そして良い時も悪い時も側にいてくれる人を大事にすれば自然と深い人間関係が築き上げられていくなと思っています。

Twitterなどで言いたい事を言って何が悪いみたいな人いますけど私そういう人とは今後付き合うことはないでしょうね

Twitterなどで言いたい事を言って何が悪いみたいな人いますけど私そういう人とは今後付き合うことはないでしょうね。

自分自身に何かあった訳じゃないんですけれども、ああいったオープンな場で平気で他人の事を揶揄するっていうのはちょっと自分の中では有り得ないかなと思って去年辺りから色々とその辺も整理整頓したわけです。

自分にとって心地よい環境を作るのに見たくないものを見ないというのは必須ですからね。

相手に対して面と向かって言えない人がSNSツールなんかを使って吐き出すのでしょうけど、当人同士で済ませれば良い話を全世界にブチまける精神が信じられないというか理解もしたくないし共有もしたくもないし、そもそも目が汚れるので見たくない。というのが本音です。

人間ドス黒い気持ちや荒んだ気持ちがあって当たり前ですし多少の愚痴や弱音なども吐いて当たり前ですが、それがしょっちゅうであったり名指しにはしないまでも相手だけが分かるように嫌な事を発信するというのは最早その人自身か環境に問題があるんでしょう。

あたかも自分が正論を述べているかのように見せかけて誰かの気分を悪くさせる事によってストレスを解消したり悦に入ってるんでしょうけど、何かそういうの見てると凄くゲンナリするというか単純にダサいなって思います。

何か好きな事を夢中になっている事を多少乱雑な言葉であっても熱く語っている人を理路整然風に茶化すというか小バカにするのは見ていてとても気分が良いものでは有りませんよね。

それに自身のストレスなどに対して他の解決方法や発散法などを見つけていないというのがそもそも怠惰な事です。

SNSツールはどう使おうが自由なので各々好きに使えば良いんでしょうけども、私は上に書いたような人が嫌いなので見たいものを見る見たくないものは見ないを徹底しようと思います。

Twitterの使い方

前は情報を出すのbotみたいだから嫌だという意見も一理あるなという感じでしたが、今は私個人よりもバンドの音や雰囲気なども知ってもらいたいので動画や写真などを多く出しています。

音源リリースして終わりってのは勿体無いと思うし、メンバーのプライベートも大切ですが先ずバンドについてや音源やライブについて発信したほうが分かりやすいんじゃないかなと思ってます。

関係を整理する事で楽しく日常を送る事ができる

ここ何年かで人間関係が大きく変わって来たのですが、私自身人との関係についての信条のようなものが大分変わって来たのかなと思ったので自分の備忘録として今まで人間関係についてやって来た事をつらつらと書いていきます。

 

先ず皆と仲良くしようという理想論を降ろし、ただひたすらに仲良くできる人と仲良くすれば良いと決めてここ何年かはやってきました。

嫌だなと思う人とは知らぬ存ぜぬ絡まずその他大勢として認識すれば良い。

仲良くなりたいなと思ったら自ら話しかけに行く。

ダメなら引き下がる。

 

こういう人は許さないというのは自分の中で決めておく。

私が嫌いな人は常日頃何かにつけて批判的なタイプの人や何の非も無い人に対して冷たい態度を取る人や攻撃的な人はダメですね。

多少何かに批判があるのは人間なので当たり前なことだけどもそれが常日頃っていうのは程度が過ぎますし、ここまで来ると自分自身について不満があるのではないかと思います。

中には本当に稀ですが性根腐りきったどうしようも無く冷たい人っているもんで、そういう人は過去にとてつもなく嫌な目に遭遇したか最近ロクな事がない人なんでしょう。

しかし幾ら自分が不遇だからと言って四方八方に冷たい態度や喧嘩をふっかけるのは100%その人自身が悪いので関わる価値もないです。

例えそれがどんな立場な人であってもです。

 

逆に好きなのは面白いことが好きな人、優しい人、心が温かい人、少し不器用な人ですかね。

面白くあろうとする人や優しく心暖かくてあろうとする人も好きです。

また、私自身もそうなりたいしそうで在りたいです。

今交流のある人たちは殆どが素敵で優しくて心が暖かくて面白い人ばかりです。

たまに嫌な人に関わることが有ってもその人に対して感情を使うのは勿体無いと最近思い直して「無関心」を貫くことにしています。

嫌だなと思う人の事を鐚一文たりとも受け入れる必要はないのです。

その後に楽しいとか嬉しいとか心地が良い、気持ちが晴れるような事を自分に与えています。

 

以前の私は人間関係について順風満帆とは言えませんでした。

嫌だなと思う人についても、自分が悪いからだとか相手にも良いところがあるからとか言って一生懸命どうして良い関係が気付かないのかと悩んでいましたし何故自分に対して嫌な事をする人やあまり仲良くしてくれない人に対して恨んでいました。

しかしそれこそが至極無駄な時間でした。

人との関係というのは縁という間接的な要因が重なって出来ている場合が多く自分一人でどうにかなるほど簡単なものではないと最近気づきました。

なので、縁に従って気の合う人や話の合う人や接点が多い人などと関係を深めていくことにしました。

すると次第に楽しく笑顔で過ごせる日が多くなるなりました。

自然と嫌だなと思う人には関心が無くなっていきました。

 

あと好き嫌い以前に合わないとか違和感があるという関係もあるので、合わないもんはしょうがないと早々に見切りをつけるのも大切なことでしょう。

 

それから話は逸れますがポジティブな言葉というのは手前味噌なようでとてつもなく効力があります。

良いと思える事や楽しい事を発する習慣が付くと本当に良い面や楽しい面が見えてくるし、何にもなけりゃお世辞でも何でも良いんです。

楽しく笑える気分が良くなる安心するそんな言葉を毎日どこかで発していると、次第に良い気分になってくるもので良い気分になれば人と関わる余裕が出て来ます。

余裕が出てくると人を冷静に見ることが出来るので、また良い関係になれる人と出会う確率が増えます。

間違った事が日常茶飯事に起こりすぎている昨今の日本では正しい事や鋭い事を言ったり四角四面に物事を見続けるのは疲れますから、そういうのは本当に大切な時で充分です。

 

この先、大事な人たちと笑っている時間が増えるように。

仲間と真剣に楽しく物事に取り組めるように、こんな感じで人間関係について考えていますという事をザッと書いてみました。

心が凍えた人はぬるま湯に浸かってふやけた方がいい

大人になればなるほど褒められることって少なくなりますが、子供の頃と比べて断然出来ることが多いのに何でなんでしょうね。

出来る、出来て当然のハードルが年をとるごとに高くなるからなんでしょうか。

まぁ今更歩けることを褒められたとしても間違えなく小馬鹿にされていると思いますけど、とにかく大人ってあまり褒めないし褒められる事も無いなと最近思っています。

褒めたら負けなゲームをやっているのか、それとも絶対に褒めない鋼の意思なのか、はたまた相手の褒められるところを見ていないのか。

また褒められた側も褒められると小馬鹿にされたと感じるから褒められまいという鉄壁の防御を固めているのか。

分かりませんが、私自身はとかく褒められたいタチでして。

もうスラムダンク福田吉兆バリに褒めに飢えているので

常日頃から「もっと、、もっとホメてくれ、、」という状態であります。

尤も褒められるようなズバ抜けた特技も無いので、褒められるという経験が当たり前ではなく非常に貴重な事なのでそう思うのかも知れません。

なので人から褒められた言葉というのは忘れることなくスルメの如く何年も噛み締めています。

そしてたまに自信が無くなりそうな時は褒められた言葉のストックを取り出しては只管に噛み締め続けています。

しかも、私は他人から厳しくされるのが心の底から大嫌いで少しでも厳しくされたり、厳しい批判をされるとすぐにその人を恨みリストの一つに加えます。

そして何年もその人を恨み続けるという非常に悪どいこともしておりました。

他人からの厳しさを糧にしたことなんていうのはただの一度も無いです。

厳しさを糧にするとしたならば、自分が恥をかいたことを失敗したことなどで自分を長い事厳しく責めに責め尽くした後に答えを見つけるというドMプレイはよくやりますけどね。

 

それに、心が弱り冷え切ってる時の厳しさはアイスピックの如く突き刺さり心を粉々に砕いてしまいます。

心が弱ったり自信がなくなったりした時はとにかく褒められるという温泉にでも浸かってるが如く心地良い経験ってのが必要です。

よくぬるま湯に浸かると良くないみたいなこと言いますけど、気持ちが弱っている時は叱咤よりも少しでも楽になれるような褒めるということが何よりも必要になっていきます。

褒めるというぬるま湯にゆっくりと浸かって心も身体もふやかしてほぐして、リラックスして自信を取り戻してまたやりたい事やる英気を養えばいいと私は思っています。

 

本当に仲の良い人としか議論したくない

私は本当に仲の良い人や限られた人としか議論はしないようにしています。

論破合戦になる事が嫌いだからです。

ましてや顔が見えず文字数が限定されているSNSでは絶対に議論したくないです。

あと本当に親密になりたい人としか意見を酌み交わしたくないからです。

なので大体のことは、そうですね。良いですね。分かりましたー。はいごめんなさい。という感じで相槌うって終わりです。

基本的にあまり仲良くない人とはただ楽しくふざけていたいです。

よく人からは暖簾に腕押しとか言われるんですが大概の事はどうでも良いので「うん、別にそれでいいよー」という風になってしまうのです。

反対にこの人とは大事な話がしたいと思ったら割と口調が強くなってしまう癖があるのでたまに相手を驚かせてしまうことがあります。

ついつい熱っぽく暑苦しく語りたくなってしまいます。

大人な感じでサラッと嫌味なく伝えられるようになりたいです。

もっと言えばそれだけ議論する事に関して価値があると思っています。

お互いに腹割って話した後の絆のようなものを大事にしています。

しかし、赤の他人に大切にしてるものを易々と渡すわけもなく意識的に議論をする事については避けています。

分かり合える人なんて沢山は要らないし、そうそう出会う事もないでしょう。

出来ればずーっとふざけた楽しい感じの浅い付き合いの方がいいなとも思います。

その方が楽だし毎度マジメだと疲れるでしょ。

しかし、ひとたび「この人とは一生もんの付き合いだ」と確信したらガチンコでやり合う覚悟で議論したいです。