RINOの何でも帳

頭の中をアウトプットする雑記帳。

「音楽制作が人間の健康的で幸福な生活につながるという驚きの研究結果が発表される」

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音楽制作が人間の健康的で幸福な生活につながるという驚きの研究結果が発表される | block.fm

 

へえー。楽曲制作に行き詰まって精神壊すなんて事もたまに聞くけど、何事も程々にやると脳にも体にも感性にも良い刺激になるんだろうかね。

ライブもそうだし、音源にメロ入れる作業とか歌詞を作るのも確かに幸せ。

今年はもう十歩くらい進んで一から作曲できると良いけど。まぁ無理せず楽しくやりたいね。

ゆるウォーキングとゆる筋トレ

ゆるくウォーキングとゆるく筋トレ、ストレッチをして1ヶ月程経ちましたが、まぁあんまり体型は変わらないよね。

ゆるすぎるので直ぐに変化する訳がないのですが、とにかく爽快感が気持ちが良いのです。

大体30分から1時間歩いて筋トレはプランクという体幹を鍛えられるものを10秒を2セットか3セットくらいと1分間スクワットするのを週3回程のペースで続けています。

歩いて少し汗ばむ頃には頭の中の靄が消えているし、筋トレしてると心拍数が上がるからか分かりませんが一時的に活力が湧いて来ます。

悶々と悩む事があまりなくなりましたし、かなり楽観的な物の考え方が日常で出来るようになり思い詰める事も少なくなりました。

体を動かす価値はあるなと思っています。

元々考え過ぎるのは性格の一つとして諦めていますが、それにしても考えることの方向がひたすらネガティブから少しだけ建設的な感じになって来ました。

デスクワークしていると一日中体を固定しているので血流も悪くなるし、目を使うので肩から首筋に掛けてゴリゴリに固まってしまうのと先ず脳が疲れる。

脳が疲れると眠りの質が悪くなる。

眠りの質が悪いとパフォーマンスが落ちる。

そこで、身体をある程度ほぐして刺激を与えると頭に登った血が全身に回るような脳にまで酸素が届いているようなそんな感じです。

今のところはライブ中もライブ後もバテない身体になる事が目標です。

気づかない知らない聞いたこともないは当たり前なんですけどもそこは大して問題にはしていなくて

サービスや娯楽や全てのコンテンツそうですけど何年やっていても気づいてもらえていないのはタイミングもあるけど知られるような事をしていないだけなので当たり前っちゃ当たり前ですよね。

しかし知られない事は悪でもないし、むしろマイペースに出来て良いです。

というよりも、どこかでまだ沢山の人に知られるのが怖いと思っていて伝える事から逃げている節があるんだと思います。

人間たとえ今よりも飛躍出来る状況があると分かっていても、勝手知ったる慣れた事を選んでしまいがちなのです。

なので、のらりくらりと知られたいのか知られたくないのか何なのかよく分からない感じになってしまうんですね。

昔はのらりくらり、がとても歯痒くて私の性格上「あーもっとガーーッと動きたいよ!勢いつけてさー!」というのも有ったのですが年月が経つと共にその気持ちも和らいで、もうのらりくらりで良いじゃあないか。と受け入れつつあります。

 

それから人の興味というのはあっちこっちに向くものなので一瞬でも見てもらえたならそれはとても有り難い事と思います。

基本、人と人とは一期一会だとここ数年で学びましたし人の心は繋ぎ止めておくことも出来ないのでお互い気が向いたときにやって気が向いた時に会おう。

そんなスタンスでやっていると他人に振り回されることもあまり無くなりました。

今も多少は振り回されるような感じになるけど無理やり別のこと考えたりしてやり過ごしています。

 

もちろん知ってもらうことは大事。

大事だけど、やっぱりそういう事に振り回されたりすると本当に自分のしたい事というのが見えなくなってしまうので今後もマイペースにやりたいと思います。

だって自分で決めてやりたい事を始めたんだからやる事だって自分で決めたいもの。

 

バンドについての考えをハッキリと言ってしまえば強制的な宣伝活動や無理なスケジューリングや過度にライブ活動の頻度を上げてしまうと必ず音をあげてしまう人が出てくるわけです。

その音をあげてしまった人、その人は頑張らなかったのか?と言われたら全くそうじゃないですよね。

辞める理由は沢山あれど無理をしてしまってキャパオーバーしたという事も考えられます。

人は人の数だけ、その人なりのペースがあります。

その人なりに頑張ったんです。

たとえ頑張ってないように見えても頑張ったんです。

 

バンドというものを長く続けたい時に誰に合わせないといけないのか。

それは一番ペースが遅い人や出来ないと思わせるような人に合わせる事が大事なんだというのが私の持論です。

もちろん超絶バリバリ活動しまくりたい人からみたら有り得ない選択なんでしょうけど、私はこの考えに至るまでの根拠がここ何年かで出来たので揺るがないのです。

 

ザックリと言うならもうこのメンバー以外とはバンドやらないしメンバーを誰一人とて欠けせたくない。この皆んなで長くやる。というのが一番念頭にあるので後の事なんて大した問題じゃないと。バンド内のペースを大事にしていきたいので宣伝とか他と比べれば手薄になるしそれによって知られないのは当たり前っちゃ当たり前なんですけど、もし仮にSNSYouTube他にも音源や対バンで見て良いなって思ってくれたら会いましょうということでなんかすんません。

それではまた。

無理やり続けるのをやめると意外と続くもの

ブログって本当続かないよねー。

毎日書いてる人本当に尊敬します。

早々に挫折したもんね。

毎日書こうと思って続けてた頃は脳みそからネタをひり出してる辛さがありました。

今となっては私の頭の中を垣間見たいコアでマニアな方しか見なくていいやー。そしてもし見ている人がいるならば本当にやる事が全くなく眠れずに暇で暇でしょうがないときにこんな駄文を見て眠気を誘えれば良いな。

よし、究極のチラシの裏を目指そう!

などと思いながら好き放題言葉を選ばずに更新頻度なんかを考えずにゆるーくやっている訳ですが間違えなくこのブログは私にとって自由と呼べるツールの一つであります。

自由に言葉を発する事は頭の中の整理にもなりますし、今どう感じているのか可視化する事でもあります。

なので、きっちりかっちり文を考えているよりもこうして出す言葉を自由に出すことによって今の自分のバロメーターとでも言いましょうか、私はこんなことを考えているのかとあらためて思う訳です。

たとえ同じような内容を書いていたとしても、あー同じところで悩んでるんだなと分かるのでとにかく書いてみる。というのが自分にとっては大事なんです。

というわけで無理やり続けようと思ってる事って挫折しやすいし、まぁ適当にやってこうと思うほど意外と続くもんだなと今では思います。

他人は自分の思い通りに動く手駒だとでも思っているのか

よく同じモチベーションじゃないとやっていけないみたいな話、例えば仕事とかであるじゃないですか。もちろんバンドとかでも。

他人と足並み揃えて同じモチベーションなんてのは宝くじが当たる以上に確率は低いわけですよ。

モチベーションは高けりゃ良いもんでもなく、現実から目を逸らす為にいかにも尤もらしい事を言って自らに発破をかけたりというのは自分自身あんまり好みではないですね。

高いモチベーションを持って短期集中型で目標に向かって駆け上がるのも良いと思いますし、そこに辿り着いた達成感や解放感というのは本当に蜜のような味に近いというか。

しかし達成感にも弊害もあります。

達成後の燃え尽き症候群のような脱力感というのはこれまた厄介でして、目標を失うというのはだだっ広い砂漠をひたすら彷徨っているような気分になるのです。

やる事がない。好きなのにしんどい。

次何していいか分からない。

達成は一応したけど思うような結果ではなかった。などなど魔境にでも入ったかのような鬱屈とした気分に苛まれます。

こういった気持ちのまま同じことをやり続けていると精神バランスが崩れて例え好きな事でも二度とやりたくないという気持ちになります。

ここで立ち止まって休めるかどうかが長く続く鍵かもしれないなと思うのです。

燃え尽きた時は止めることも続けることも怖い状況ですから止める・続けるの二択ではなく休むという選択肢を自分に与えられるかどうかに次の目標を見出す糸口になるんじゃないかなと。

 

長いこと同じことをやるというのは何度も腹をくくる事、何度でも仕切り直す事が大切なのだなと段々と分かってきたのですがもう一つ大事なのは長い目でゆっくり掛けてやっていくことで今ある地点だけを見ないということかなと思います。

状況というのは常に変わるものなので早々に結論を出すというのを敢えて避ける。

人間疲れていると早々に結論を出したがります。

そこで決断する体力を取り戻すためにも急がずに先延ばしにしてみるというのも一つの手です。

とにかく疲れたら休むっていうのが大事ですね。

 

話は戻って「同じモチベーションじゃないと一緒にやっていけない」という真意は「自分の思う通りに相手が動いてくれないと嫌だ」という単なるワガママに過ぎないのかなと思います。

人の事を自分の欲を叶える為に手駒にしているようなもので大変に失礼な事です。

自分が勝手な尺度によって他人の良し悪しを決めている訳ですよ。いい迷惑です。

人間様々な性格や事情が絡みながらも寄って集まって何かしようってのがそもそも大変な事です。

個人の状況やパーソナリティをいかに把握してまとめられるか。

それを無視するのは只の暴君ですね。

絶対にこの人に付いていきたいと魅力があるのであれば話は別ですが。

まぁ端的に言ってしまえば好きにやりたいならお前一人でやれ。って事ですね。

 

んーなんかいつも以上にごちゃごちゃ。

まぁいいや。ではそういう事で。

好きなものは何があっても手放さない事が生きていく上で大切な事

好きなものは何があっても手放さない事が生きていく上で大切な事だなとここ数日考えていました。

小学生の頃、習い事で水泳をしていたのですが水に入る感触や泳ぐことを覚えるのが本当に楽しくて上手いわけではなかったけどずっとやっていたいなと思っていました。

大会に入賞するわけでもなく、誰よりもスピードが速いなんて事もなかったですがとにかく楽しく泳いでいました。

下手の横好きと言われてしまえばそうかもしれません。

しかし中学に入学する際に部活に強制的に入らなくてはいけない校則があり、習い事を続けるにも大会の入賞歴やずば抜けて上手いなどアピールするポイントがないといけない決まりでした。

しかもちょうど入学の年に水泳部は廃部になってしまったので入りたい部活が無くなってしまったきっかけで友達と一緒に自分の意思なくバスケット部に入ることにしました。

 

適当に入部したバスケット部ですが、これがまぁつまらなくて驚きました。

唯一楽しみにしていたバスケットシューズ選びも顧問が懇意にしているという業者のクソダサいバッシュでした。

ユニフォームはまぁそれなりにカッコよかったんですけど、気分が上がらないというかその時点でもう萎えていてどうでもよかったような気がします。

筋トレもつまらないし、たかが一つ上に生まれただけで敬語を使わなければいけない先輩も大嫌い。

後輩というだけで先輩のために湿布買いに行ったりスポーツドリンクやら麦茶やら作らないといけない事など本当に面倒くさかった。

肝心のプレイスキルはというとこれがまぁ下手で身長も大して高くないのにスラムダンクでいうゴリのポジションになった訳です。

大してモチベーションも高くないし上手くもないメンバーだったので超弱小チームでした。

練習になんか身に入らず他のメンバーと好きな人の話をしたり流行りの音楽聞いたり繁華街に遊びに行ったりと部活外の活動の方が余程楽しかった。

しかし、楽しいんだけども何か満たされないというか思春期特有の感覚なのか大事なものを置いていったような気持ちがいつもありました。

その時は見ないようにしていたけれども自分の中で好きなものを失ってしまったという気持ちがいつも何処かにあったように思います。

中学後半と高校生時代それなりに遊びやらメイクやら外見を整えたりと普通の学生生活でしたが埋まらない違和感は引っかかり続けていました。

ある時カラオケで友達と歌った時に、水泳で感じていた気持ちが踊るような感覚が戻ってきました。

これだ!というシックリ感をはっきりと感じたことを覚えています。

それから歌う事が好きになったのです。

歌が好きな事は手放しちゃいけないなと何となく思っていたのですがまた成人するまでに何度かこのシックリ感を見て見ぬ振りをしてしまうわけですが、まぁ色々あって取り戻して今はシックリ感がガッチリとした軸に変わっていったわけです。

好きなことは手放す喪失感というのは結構な尾を引きますので、どんなに下手でも評価されなくてとも好きなものに繋がり続ける事で生きる上での充足感につながっていくのだなと思いました。

歌う事とは非常に奥深く

元々の声質は変えられない。

有るものでしかやるしかないし有るものをさらに研ぎ澄ますのみだ。

何度も何度も繰り返し言い聞かせて来た言葉だ。

しかし圧倒的な表現力や到底敵わない才能を目の当たりにした時に屈しそうになる。

いら屈しそうと思った瞬間、既に気持ちの上で負けているのだが。

思えば負け戦でやってきた何年か。

確かに音楽含め芸術は勝負事ではない。

しかし自分の中で確かに「悔しい」という気持ちが芽生えていたのである。

そして見て見ぬ振りが出来ないほどに膨れ上がり暴れ始めている。

さて、どう悔しさを手なづけるべきか。

ある意味、今まで逃げていた自分との勝負である。

徹底的に自分の声と向き合おうと自分を鼓舞している。

何となく自分の声の特徴はつかめている。

何となくではなくハッキリと見つめる時が来たのだ。

なんてな!ボイトレ筋トレがんばろーう!