RINOの何でも帳

雑記的な日記

【今日の晩ご飯】マスタードカルボナーラみたいなスパとセロリのマリネ

今日は小松菜とベーコン、卵とマスタードとバターでカルボナーラみたいなパスタにしました。

セロリのマリネは購入品。

f:id:mechanical-rino:20170922204905j:image

ベーコンブロックを分厚く切って入れると贅沢した気分になりました。

 

一度やったことは貫き通さなくてもいい

一度手をつけたものはどんな事があっても貫き通さなければいけない。と力むほどに継続は難しくなるでしょう。

出来ないものに関しては「はい、さいならー。」とサラッと離れた方が余計な執着がありませんから。

無理やり積み上げたものなんてすぐ壊れますし。

人の心なんて気まぐれに出来ていると思っていた方が「私はなんて意思が弱いんだろう」とか無駄に責めることが無くなります。

興味があれば好きなら何が有っても完遂できるでしょう。

誰かを裏切ることになるとか誰かを傷つけることになると無理に歯を食いしばったってもう嫌なもんは嫌なんですから。

認めてアッサリと寝返りましょう。

方向を変えてまた別の何かに夢中になればいいんです。

相手の良い悪いに合わせなくて良い。自分の好き嫌いを大事にして。

相手の価値観にいちいち乗っからなくて良いですよ。

相手の良い悪いに乗っかりグセのある人は今日から共感することを意識的に辞めてみましょう。

毎回真っ向から反論すると喧嘩になって面倒なので相手の意見に「ふーん」と適当に流した後に敢えて逆の意見を頭に浮かべてみて下さい。

・私はそうは思わないけど。

・私は違うと思う。

・私は別に好きではない。

みたいな感じで意識的に否定してみるんです。

これって嫌な奴になった感じしますよね。

でも違うということもコミュニケーションの一つなんですよね。

私はいつ相手の機嫌損ねてしまうんじゃないかと恐ろしくて「それは違う」なんて事ハッキリと言えたことがありませんでした。でも違いもコミュニケーションなんだと思ってからは少しは言えるようになりました。また、意見が違うのと人格を否定しているのとは全く別物という感覚もようやく理解したのはつい最近ですよ。ディベートなのか口喧嘩なのか分からなかったんですから笑えますよね。

討論慣れしていなかったり、人の気持ちを慮る側面ばかりでやって来た人は相手の価値観を尊重しすぎてしまうところがあるので心の中で反対意見を考えてみるセルフディベートとでも言いましょうかね、少しずつやっていくと自分の意見に自信が持てますし理路整然と物事語れるようになります。

私もまだまだ感情的に否定してしまったりする事なんてしょっちゅうですので鍛えていきたいですね。

でも気持ちが不安定な時は無理にやらなくて良いです。

自分に自信が持てなくなっているときは相手の意見に否定的な自分を責め始めてしまうので。

気持ちが不安定な時はまるで2歳児のようにただ好きか嫌いかで判断して下さい。イヤ!スキ!を心の中で思うだけでOKです。

これならできそうでしょ。というか好きも嫌いも考えるまでもなく既に感じているものですよね。

それに気付きながら過ごせば相手の価値観に揺さぶられにくくなりますよ。

 

どんなに偉い人だった立派に見える人だって本当は間違えだらけなので絶対に正しいという答えはないんですよ。

なので自分の感覚や気持ち、思考だけが間違えているなんて事は有りません。

むしろ自分から導き出したものなんだから他人の価値観よりも自分の意見を大事にするべきです。

自分から出た答えに堂々としていましょう。

今すぐに環境が変わらなくても落ち込まないで。いーらないっ!と心の中で思っておきましょう。

今すぐに苦しい環境からしんどい人間関係が変わらない事で思い悩む時ありますよね。

辞めたいけどでも言い出せる勇気がまだ無い。

でも毎日考えるだけで辛い。

終いには言えない自分がダメなんじゃないかと自分を責め出したりしますね。

まず言えない自分は悪くないのでこれ以上責めるのは辞めましょう。

だって嫌なもんは嫌なんだからしょうがない。

伝えることも今は怖いんだからしょうがない。

どっちも本心なんだからまずは認めましょう。

 

次に自分のことを労いましょう。

「慣れないのに沢山気を使ってきたよな」とか「出来ないなりにもよくやって来たよね」とか、どんな些細なことでもいいので思い出せる限りとにかく労いまくりましょう。

それから今ある環境や人間関係を思い切って心の中で「もう、いーらないっ!」と捨ててしまいます。

限りなく子供っぽくする事がポイントですよ。

世話になったからそんな酷いこと出来ないなんて事は置いておいてください。

今自分が辛いんだから先ずは自分の気持ちを楽にしてから他人の事は考えましょう。

どれもイメージの中での事なので楽になるまで何度でもやりましょう。

後は淡々とただそこに居るだけでいいです。

余計な気は一切回さず自分のことだけに集中します。

話しかけらたらサラッと話すくらいにして自分に気持ちを向けましょう。

何日か繰り返しやっていくと気持ちが収まって、嫌だった環境や人間関係に新しい視点で見られるようになります。

選択肢も辞めるか残るの2択しかないと思っていたのが、もっと細かく分かれてまるで手持ちのカードが増えたように思えるでしょう。

例えば、もっと主張するとか話を聞き流す、手を抜く、交渉するなど色んな選択肢が増えていって楽に過ごせるようになりますよ。

若さからの解放

これ自分の痩せ我慢かなと思ってずっと黙っていた事なんですが若いという年齢を超えて率直に思ったのが「やったぁ!若さからの解放!」みたいな気分にまずなったんですね。


若いと呼ばれる年齢を過ぎるまでは年齢なんて気にしないと突っ張ってた方ですが心の片隅では「私このまま年取ってどーなっちゃうの。怖いな。」と感じていました。でも年齢を重ねることで若さの鎖から解放される事がこんなに気持ちのいいものだったなんてと驚きました。
実際に誕生日を過ぎてみると、これで図々しくできるぞ、これで弱々しいフリなんかしなくてもいいぞ、これで分からないフリも分かってるフリもしなくていいぞ、これで猫被らなくていいぞ、これで誰にも見向きされないから好き勝手出来るぞー!ヒャッハー!みたいな感じでした。


私は若い時、自由なようで結構そうでもないなと思っていて社会人になると何だか控えめで奥ゆかしくしておかないといけないみたいな考えで自分を縛っていたのでとても窮屈でした。
他人が要求する自分を演じているような感じでしたね。
それに自分の内面まで興味を持ってくれる人があまりいなかったし自分も出しちゃいけないと思っているから中身まで到達しないままに終わった人間関係も沢山有ります。
どこかでいつも、私の面白い話やギャグも聞いてくれという欲求不満が常にありました。
私は学生時代から友達といる時はずっとふざけっ放しでした。ふざけた人間で生きて来たもんで、その世界でしか生きてなかったからふざけ続けることが何処でも通用するものだと思って生きてきたんです。世間知らずで無知って怖いですよね。
社会人になって大人ってあんまりふざけないんだとガッカリしたものです。
それから会社の飲み会で普段真面目な人がフザけ出すと素面の時はやらないくせにと斜に構えて冷めて見てたり負けじと過剰にふざけたりしていたんですが、「女性がそんな事したらいけないよ」なんて諌められたりで面白くないんですよね。
何となく面白くする自分は求められていないんだなと感じたんですね。
その飲み会では黙ってお酌してればいいぞという感じだったし、普段の時は大人しくなんか女性らしくしおらしくやっていればいいからみたいな役割を押し付けられたように思いました。


それから何処いってもなんか自分の戯ける部分というのは否定されているような気がしていました。とっても寂しかったですね。
そんなに面白おかしく戯けたいんだったら吉本の芸人養成所にでも行けよって感じなんですけど、それは違うんです。私は近くにいる人と面白さを共有したい欲があるだけなんです。それに人それぞれ面白さを感じる部分は違うので自分と面白いと思う箇所が合う人とずっとふざけ続けたい欲が人より少し多いのかもしれません。
社会からは受け入れられるとは思えずに隠していた面白い事話したい欲は偶に学生時代の友達と会う時にだけ引っ張り出して話しまくる事で解消していました。そんな自分を俯瞰で見た時に余計にギャップを感じて仕事やら日常やらにに戻った時にもっと寂しくなっていたんですね。
でも、それがどうですか!
若いことを注目されなくなった今、というか年齢を重ね羞恥心が無くなっていくと徐々にふざけたい欲が解放されていく訳です。それは受け入れられない怖れを感じることが減った言えます。誰かが止めても私はふざけるぞという謎の覚悟がスコンッと出来たんですね。
それから、いつも通り自分の会話を面白く聞いてくれる友人とまだ遊べてる事が今度は逆に自信になったように思います。

受け入れられない人とは上辺だけの会話で充分。私にはちゃんと中身を見てくれる人達が居たという安心感が出来てかなり今面白いと感じられる時間が増えています。


確かに見た目は若い方がいいでしょう。若い頃に比べたら肌も土台から緩むしシミも増えるし出来るだけ抗いますけどそれはもうしょうがない。
だって見た目だけが私じゃないもの。
この考えがただの痩せ我慢かと思われても良いし、もっと若い頃から自分らしさを大事に出来ていればなと思う事もあります。
でも今こうして生きやすくなりつつあるから、それでいいかなと思っています。

広告を非表示にする

SNSでの繋がりが監視社会に感じたり自他の境界線が曖昧になるような気がしてとても嫌いになった事がありました

先日Twitter嫌いを認めたら天の邪鬼なもんで毎日1回は更新するようになりました。本当現金な奴ですよ、私は。

それでも楽しいとか面白いとはまだ思えませんけどね。

一度感じた恐怖や違和感などは簡単に拭えませんから。

そこを理解してくれる人いてくれたらどんなに楽かと思いますが、先ずは自分が自分の気持ちを受け入れてあげようと思います。

辞めるきっかけは不快なダイレクトメールなどが送られてきた事なんですが今でも思い出すと不快で怖いですね。

今思えばスクリーンショットでも撮って晒しておけば良かったかもと思うくらいです。見ず知らずの人に何故こんなことされなきゃいけないのか悔しかったし怒りで一杯だったし悲しかったしでとても落ち込みましたね。

忘れようとしても不意に思い出してしまう度にどんな手を使ってでも倍返しでやり返したい、リアルでその人に会ったらどんな手を使ってでもキッチリ仕返ししてやるという気持ちが湧いてきますよ。

私は世界有数の執念深く陰湿な女なのでね。

それに私が一時期全てのSNSを辞めて主に以下のような気持ちから解放されたのが堪らなく良かったですね。

一時辞めた事で漠然と感じていたSNSに対してのデメリットが明確になり自分の時間を取り戻す事ができました。

 

■常に監視されているみたい

インターネットは自由な所という印象でしたが何だか常に監視されている気分です。もちろん自発的に発信しているので見られることは承知の上で投稿しているはずなのですが、上手く説明出来ないのですが何だか監視されているようで段々と萎縮するようになっていきました。

 

■発言に迷うのがストレス

投稿して相手に不快感を与える事に異常なまでに恐怖していた事がありました。

昨今の炎上は芸能人のみならず一般の人にまで及んでいるからです。

思った事を投稿しようにも言葉を選んであれこれと考えていると緊張してしまい結果、精神的にとても負担になりました。

 

■自分と他人の境界線が曖昧になる感じがして気持ち悪くなった

SNSは気軽に誰とでもコメントし合えるのがメリットではありますが、そのおかげで自分と他人の境界線が曖昧になる感じがしていました。

ハッキリ言って大して仲の良くない人にラフに来られてもこっちは身構えてしまいます。

例えば仕事で使っていて営業の一環だとしても私は無礼な人はお客さんにしたくないと思います。

またリアルだと全然会話しないのに、SNS上では饒舌な人のギャップに困惑しました。

その逆も然りでリアルでもSNS上でも境界線を無視して話すのは疎ましがられて当たり前ですよ。

 

■不快なダイレクトメールを送る人もいる

「そもそもお前、誰?」と言う人から突然脈略もなく不快なダイレクトメールを貰った事がありますがとてつもなく暇かリアルで誰にも相手にされないかのどちらかなのでしょう。

内容はお察しください。

 

■寄ってたかって大炎上させる集団暴力の巣窟になっている

気に入らない投稿を槍玉にあげて間違えた正義感を振りかざしてとにかくやり込める様子は見ていてとても不快ですね。

人間の嫌なところが凝縮されていると思います。

人は正論言っていると思ってる時には脳から快感の信号が送られているそうです。それから人は共通の敵を作る事で結束感を高める性質があるようでこの要素が最も働いているのがTwitterなどで見かける炎上ではないでしょうか。

見ず知らずの誰かに自分の道徳心や正義感だと思っているものを押し付ける事がそもそも道徳や正義だとは思えません。

 

◎理解や共感のないただの繋がりほど虚しいものはない

書いていて今気づいたのですが、ただの情報拡散ツールに自分の気持ちを垂れ流す方がもうどうかしてるのかも知れないですね。

内に秘めている過激な面や不謹慎な面、誰にでもそんな側面あると思うのですがSNS上で表現せずに原点に帰って日記をつけた方が余計な事に巻き込まれずに済む気がしてきました。

 

 

超監視社会: 私たちのデータはどこまで見られているのか?

超監視社会: 私たちのデータはどこまで見られているのか?

 

 

 

自分を犠牲にしてまで人を喜ばせてしまうのはどうして?

見返りを求めないで他人に尽くせる人は素晴らしいです。

しかし、本意でないのに揉めたくないから自分さえ我慢しておけばいいという考えは繰り返していくて自分を追い詰める事になります。

 

私は自分を後回しにして他人を喜ばせて何とか自分の居場所を確保していたような気分になっていた事がありました。
でもそれずーーーっと自分の事差し置いて他人を喜ばせて続けないとそこに居られないんですよ。とても辛かったです。
接客業にまず始めに就いてしまった性かな。でも同じく接客業していたって、そうじゃない人沢山いるはずです。
しかも自分で選んでやっている事だったから他人のせいにも出来なくてもうダブルで辛いんですね。
他人は私の犠牲について私が良かれと思ってやっていると思うので苦しんでいるなんて想像もしません。
そんな無理をしているうちに段々と怒りが溜まって恨む気持ちが湧いてくる訳です。
「私の我慢も知らずにコンチクショー!」という気持ちで腹のなかは一杯でした。
もし仮に他人に恨みをぶつけたとしても向こうはあっけらかんと「君が好きでやっていたことじゃなかったの?ていうか、そもそも頼んでもいない事を勝手にして何を勝手に恨んでいる訳?」といったところでしょう。
私がよくやっていたパターンです。
いつも、良く見えるように選んでくれるように気に入ってもらえるようにやっていた行動でしたね。
じゃ何でそこまでして楽しくもないのに無理してこんなに自分の事を下に下げまくって人に媚びながらもそんな惨めな自分や絶対に気づいてなんかくれない察しの悪い他人に対して勝手に自分の中だけで怒りをせっせと作って恨みを溜めているんだろう。
恨みコレクターかしら?
恨みのスタンプ集めると何か景品でも貰えるのかな?
私は何年もそうしてきましたけどチリ紙一つだって貰えませんでしたよ。
たまに言われる「ありがとう」にまで私の事バカにしている!と思うまでになっていました。
その前なんか怒りすら感じなくて、とことん自分が悪いからとか自分がまだまだだからと思っていました。
結局、そうまでしてしまう行動の根底にはとてつもなく自己肯定感の低い自分が居たんですね。
本当にバカみたいでしょ?
バッカみたいって心の底から思ったんですね。
自分に呆れました。というよりもやり続けている事に飽きました。まだこんな事して意味ないよねって。私今まで全然嬉しくなかったじゃん。あーあ、やってらんない。辞めたわ。

 

実を言うとつい最近この間にものっ凄い怒りに塗れてモンスター化していたので色々と大変だったんだけど、今は飽きたという気分の方が大きいです。
自己犠牲から成り立つ相手の幸せは言ってみれば嘘って事です。
もう自分に嘘付きたくないもんね。
ずっと奉仕し続けるなんて、勘弁してくれって話です。
それから、もう自分を下げて付き合ってた時代に関係がある知り合いの人達とは私が態度を変えて切れる関係ならもう終わりでいいやという感じかな。
だって奉仕的な私が好きだった方達なんだから合わなくなって当然ですよね。
そんな人たちに認められなくて結構です。
確かに過去その関係は必要だったのかも知れないけど今はもう必要ないんです。
二度と無理した私でいたくないから。
もう人の顔色なんか伺いたくないのでこれからは手抜きな付き合いでいいです。

 

一つ学んだ事は本当に良い関係性というのは、よく聞く話かも知れませんがやっぱりシェアできる関係だなと。
「楽しいね」「面白いね」「美味しいね」色んな嬉しいことを共有できるのが最高な関係。
もちろん「ムカつくね!」「そりゃ悲しかったね」なんてのも有りです。
歌でよく"嬉しいことも悲しいことも分かち合う"的なのがあるけど、なかなか出来る関係じゃないから頻繁に使われている歌詞なんじゃないかと思っています。
でも、今はシェア出来る人達いる事に気付けたのでこれからこっちベースの関係を深めていこうと決めてサッパリしている私です。