RINOの何でも帳

MECHANICAL TEDDY RINOの雑記的な日記

本当に困ったり行き詰まった時に声かけ続けてくれた人を大切にしようと思った話

ある時期、色んな事が揉みくちゃで一旦、色んな事にカタを付けないといけない場面が山ほどあった。

生きてるうちは厄年みたいな八方塞がりで、もがけばもがくほど泥沼な時期は誰にでも何度かあると思うが、その当時の心境としては困ったり行き詰まったりして落ち着かないので他所のことを気にしている場合ではなかったし、半ばヤケクソみたいな行動しか取れず、最終的にはとにかく人に極力会いたくないという引きこもりのような気持ちでいた。

そんな暗い時期にこっちの都合はお構いなしに声をかけてくれてきた友人がいた。

もう何十回と断りを入れたか分からない。

「ごめん、遊んでる場合じゃなくなった」

「すまんけど今は時間が取れない」

「また暇ができたらこっちから連絡するから」とありとあらゆる理由で誘いを断り、断る理由のレパートリーがなくなった時は返信しない事もザラにあった。

普通の人間ならここで見切りをつけて離れて行く中、その友人だけは何故か懲りずに何度も連絡をくれていた。こちらも懲りずに何度も断った。

しばらくして連絡が途絶えると何処か安堵している自分がいて「このまんま一人の方が静かで楽かもなぁ。ていうか一人で良いかなぁ」なんて勘違いを本気で信じていて日に日に人と話すのが面倒になっていった。

それでも100%人との関わりは避けることは出来ないので人付き合いに心底疲れていたけど、顔出すべきところには「外にいるけど引きこもり」な状態で何とか乗り切っていたいた時期もあった。 

厄の暴風雨もようやく落ち着いて段々と気力が戻って来たがまだまだ気持ちの面で不安に苛まれたりと行ったり来たりしている頃、また友人からの飲み行こうの連絡。断る理由もとっくに尽きていたのと人と飲みに行く気力も少しは回復して来たのもあり誘いのメールに「行く」と返信した。

会うの久々だし会話出来るか?なんていう不安は大きく外れて、その日はもう何年振りってくらい何も考えずにバカな話と思い出話と次の遊びの計画と最終的には何を話しても爆笑でしかないという最高な1日になった。

本当に傲慢な自分を何度となく誘ってくれたにも関わらず断った事も全く気にしない様子で。

詫びたけど全然もうスルーに近い感じで「あるよねーそういう時期ねー」みたいな感じで接してくれてものすごい救われた訳よ。

この日に久しぶりに自然体で接することが出来て色んなことを取り戻せた気がしたし、別に自分で良かったんじゃねーか、最初っから!という開放感でいっぱいだった。

思えば厄年みたいな災難も自分がやらなければいけない義務感に囚われ過ぎていたのだなぁ。

本当は面白い事が大好きなんだよな。

ていうか、めっちゃ喋りたがりだよなー。

もっと言うと自分ってすげー寂しがり屋だったんだなー。

てかそもそも、本当は人とこうやって楽しくやりたかっただけなんだよなー。

なのに拗ねて捻くれてしまったんだなぁ。

それに元々自分てキッチリした人間なんかじゃないんだよな。

もっとテキトーに、楽しくやろう。

なんて色々と帰り道に思ったのだ。

 

「らしく」あらないようにしていたのは自分の方という事だった。

 

人は良い意味でも悪い意味でも一人にはなり得ないし、何やっても嫌われる時は嫌われて何もしなくても好かれる人には何でか知らんけど好かれる。

だから、どこまでもらしくあれば良いのだと。

余計なものを要求してくる奴はこちらから切ってOK。

受け入れてくれない人とはわざわざ付き合わない。

 

こういう自分を面白がってくれる人と付き合う。

これでいいんだなぁという感じを最近は益々実感している。

 

本当ね、懲りずに声かけてくれる人達は大事にすべきだよなと。

マジで自分の周りは人徳ありのギャグセンスありの最高な奴しかいないのである。

こういう人達と面白おかしく過ごして行くと決めたという話。

 

ほんとねー。ありがたいよねー。

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自分を差し置いて他人にかまけると色々としんどいですの話

以前は何かに取り憑かれたように認められたいとか好かれたいを渇望していたように思います。

そんな事をしてるうちは、とても心がしんどかったし人といるのが本当に苦痛で出来る事ならもう誰とも関わりたくないという気分にまでなった事がありました。

 

ある時「心がしんどいんだとしたらこの"好かれよう"とする行為自体が無駄じゃね?」とハタと気がついたんですね。

と、同時にとてつもない怒りが腹の底から湧いてきたわけです。

「自分を差し置いて他人にかまけてる」自分にものっすごく怒っていた訳です。

それまでは事あるごとに何となく虚しい気持ちがついて回っていたのですが、その時から何でもかんでもとにかく怒っていましたね。

きっとあらゆる所で迷惑かけたり非礼も無礼もしてきたと思います。

その時は

「本気で気持ちを言って壊れる関係だったら壊れろ」

「もう自分が自分でいられないところはどんな事をしてでもぶった斬る」

「もう良い人ぶらない」

という勢いでした。 

そんな事を続けているうちに今まで良かれと思って盛り上げようとしていた会話も良かれと思って気を回していたつもりでいた事も全てが勘違いしていたのだなぁと思い始めました。

周りの人の方が圧倒的に素晴らしいという事がよく分かりました。

 

だから、最初から"好かれよう"とかは思わなくても大丈夫だったという事ですね。

そんな風に振舞っている時は心の底から虚しいの、知ってます。

さっさと自然体でいきましょうか。

てな感じで、怒りながらではあるけれど色んな無理をしながらしていた事を少しずつ辞めて良かったと思いました。

 

そんな事してるうちに段々と気の合う人達、本当に自分が飾らず仲良くしてる人達と繋がり始めたり、また連絡取り始めたりと周りが楽しくなって来ました。

それと同時にこんなに自由に振舞ってんのに受け入れてくれて面白がってくれてありがたいなぁと思うようになりました。

年とともに心身共に無理が利かないようになってきました。

お世辞にも行儀が良いとは言えませんし、立派なこともしてませんが、もう今は好きなようにしか振舞えなくなってしまいました。

 

いろんな意味でデキると勘違いしていることを総じて辞めました。

誰かに受け入れられようとかっていうのは大概が肩透かしだし、とても息苦しい事が長年そんな風に生きてきて充分にやり切ってきて、良い加減もう辞めようと決めたのがやっぱり良かったです。

 

現在もそんな癖が出たり出なかったりしていますが以前と違うのは実験的あるいは主体的にやっているかどうかだと思います。

前はそれしか方法がない。と思っていたのでとてもしんどかったのです。

それも誰にも望まれていないのにです。

 

もう好きにやるしかないんです。

なので嫌いな人合わない人には無理に付き合っていただかなくて結構です。とハッキリと意思表示できるようになりました。

 

そうすると自然と色んな人に受け入れられきていたことを思い出すし、どんな時にも人が居た。一人ではなかった。その人なりの優しさがあった。なんて発見がありました。

気づかなかったのは拒否してたのはこっちの方なんだって本気で省みたり。

 

 ともかく残りの人生は好きな人達と思い切ってバカやれるかどうかで楽しんでいくと決めました。

それでも何やかんや起こるかもしれませんが、もう好きにやろう。

 

先日ギャグセンスが最高な我が友からもらったフェイスパック。

次の日の化粧ノリ最高でした。

ややブラックメタル気味。

こんな風に(どんな風に?)

ブラックな時代もありました。

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労うことの話

社会は具体的にわかりやすい結果を求められがちな世知辛さがついて回るもんだと怖気付いた時もあるが、まともな結果が出ずとも「よくやってきたよなぁ」と念入りに労うことで次の英気を養うことがいかに大切か。

 

今までの過程を何の労いもなしに、ただひたすら走り続けていてはガス欠になるのは当たり前のことで、頑張っているようで実はとてつもなく非効率的で非生産的な事だと気付かずにやっている場合が多くある。

効率や生産や具体的な結果を求めるのであれば労うという行為は必須なのにも関わらず、すっ飛ばして次から次へと限界ギリギリまで、ぺしゃんこになるまでやる事が当たり前のようになっているのは絶対に違うと考えている。

 

それに労うことも許さず追い立てるような奴とは付き合わなければいい話なので、そんな奴の期待には答えようとしなくてもいい。

付き合いを辞める、臆せずこちらから見限ることでより良質な人間関係が育ち保てるようになるから、そこに関しては容赦しない。一切の罪悪感は無し。

今年は特に厳しくどんな立場であれ前述した通りの人間とは付き合わないと決めた。

義理や損得以前に自分の心身の健康の方が一番大事だからだ。

犠牲なんてもんはクソくらえだ。

 

こちらから見限る人間に当てはまる特徴として追い立てる本人ですら独り相撲、ラットレースにハマっていることに気づかないでいる。

なので話が噛み合う訳がないし、こちらから従う義理もないし媚びる必要もない。

 

心身のバランスが崩れるまでやること、自身を擦り減らしてまでやるのは美徳でもなんでもないという事。

労うべき時にキッチリと労い、良いパフォーマンスで次に臨んだ方が余計な力みが入らなくて済む。

余白のないところには何も生まれない。

 

大事なのは誰を何を大切にするのかをキチンと明確にする事と自分がおかしくなるまでやらないこと。

 

上手くいかない時

過去を後悔してる時

目に見える結果が伴わない時こそ

「よくやってきたなぁ」と自分を労う。

 

また新しくやり直すために労う。

ここ忘れがちなので備忘録として。

 

よーく、やってきたねー!

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気まぐれに掲げるスローガンの話

TEDDYのペースらしく月一でライブがぼちぼち決まってきた中、ぼちぼち新しい曲に取り掛かっていたりしている。

元の音源自体かなりカッコよく仕上がっていて、歌詞も相方TATSUYAくんが揃えてくれたし、あとは自分のパートどう乗せようかというところ。

先週、仮歌を録ったのだが一旦やめてみる事にして新しくまた練り始めている。

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今回はまだまだ粘ってみようかなと思い。

ケツが決まってるのでその中でやるだけやろうという感じで。

 

ここ数週間の自分のスローガンは

「やれるだけやってみよう」らしい。

らしい。と言っても勝手に自分の頭の中で浮かんで来た言葉をとりあえず採用してみるという一人遊び。

2月は「楽しさを見つけよう」

1月は「いつもの真逆をやろう」

昨年末は確か「心地よさに妥協しない」

他にも「力を抜く」とか「より自己中になる」とか「敢えてネガティブなる」とか。

 

月間だったり週間だったり日間だったりと気まぐれにスローガンを決める。

 

冗談半分でやってみると、まるで違う発想になるから面白い。

誰も得しない自分だけのゲームなので好き勝手にやっている。

一つだけルールがあって前向きなものだけを掲げることを禁止している。

 

例えば「敢えてネガティヴになる」のスローガンが浮かんだ時は確か気落ちしていた時。

近しい人間が気分が落ち込む時、前向きに励ます事より落ち込んだ気持ちに寄り添って共感することが優しさかなと考えて、自分にも同じ事をしてみる。

他人に対しては優しくするくせに自身に浮かんだ負の気分にはつい遠ざけ振り払おうとする。

紛らわして誤魔化して隠す負の気分は大きくなるので敢えて一度ネガティブの渦に飛び込んでみる事にした。

主体的に積極的にネガティブになろうとすればするほど不安は小さくなっていく。

「結局逃れようとするから大きく見えるだけか」と気がついた。

とか、勝手に頭の中で遊んでそれで、はたと気がつけたら儲けもん的な。

 

今回の新曲メロディ付けるのも、いつもと同じ工程、やり方でもいいんだけど今回は違うやり方がしたい。

というわけで、やれるだけやろう。

想定を大きく逸脱すると人は嫌悪する話

こないだテレビ見ていて青山テルマさんがぶっちゃけキャラにシフトチェンジしていて驚いたわ。

 

売れていた頃は清楚系で猫被ってた的な事を話していたけど、そもそもどういう人なのか解らなかった上に記憶を辿ってもファーを被って東京タワーバックに歌ってる人というイメージしかなかった。

 一体、誰に何を言われて猫被るようになったのか。売れるためなのか。

猫被ってもいい子キャラを演じてたとしても、そこを破ってまた話題にするのが芸能界の素晴らしいところだわな。

しかし一般社会でそれやるのは勇気が必要だわな。

人って想定を大きく逸脱すると戸惑い・嫌悪に近い感情を持つものだと思う。

大概の人は他人のことをある程度「この人はこういう人間なんだ」と勝手にイメージを固定している。

で、キャラが変わったように見える相手をみて違和感に耐えられなくなって何となく嫌悪に近い気持ちでドン引きしてサーっとフェードアウトしていくみたいな事は、自分自身がいざ素を出そうとした時に起こりがちな現象で偽りの自分に寄ってきた人が離れただけなので、実はノーダメージ且つかなり好都合なはずなのに状況が変わることを恐れてまた元の他人受けする自分に戻ってしまいがちだ。

 

けど、そのドン引きの壁を越えた先に生きたいように振る舞える自分が出てくる。

人のことばかり気にして他人を優先していた人は特にここを超えると身も心も環境もガラリと過ごしやすくなる。

そして、しばらくすると強烈にその素のキャラが大好き!という自分から見れば「マニアもいるもんだなぁ」的な人が出てくる。

 

他人受けなどは脱してその人らしく生きていた方が間違いなく幸せ。

それで離れていく人も出るだろうがそもそも合わない人なのでいちいち追いかけなくてオッケー。

「この私が嫌いならいなくなってくれてどーぞ!」という気分でいたので青山テルマさんを見た時とてつもなく爽快な気分になったね。

 

今一緒にいる人と楽しくやっていけば、それで万事良しだと思う。

 

テレビっ子。

マジで恐ろしいな、B612

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樹木希林さんに、このセリフ言われたらシビれるね!の話

たまにはカラーニットとか着よかなと思い。

春とはいえまだまだ寒いしな。

首あったかハイネックが◎

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ここ1年ばかし黒Tにパーカーにジーパンでしたが暖かくなると急に鮮やかな色とか着たくなるよね。

 

ほんで久しぶりにピンクの面積多い服を着たら、いつもの如くなんだか知らないけど自分が居た堪れなくなってね。

ついでに書くと自撮りも居た堪れなくなる時もある。

好きでやってるはずなのに何故かね。

長年好きだった事、やりたい事を制限してるとこうなりますね。はい。

こんなメンタルですよ、自分なんざ!

ハハ!

 

そんな時に思い出した西武・そごうのCM

youtubeで見てめちゃくちゃシビれた!

樹木希林さん、半端無くエッジ効いてるっす!カッケーっす!!

 

あの率直にモノを言う姿勢が好きで。

数年前にお見かけする機会があって印象は小さくて穏やかで気遣い溢れるご婦人な感じなのに芯の強さとかじゃ言い切れない、なんというか極太な意思があってめちゃくちゃ格好良かったんですわ。

 

【西武・そごう】わたしは、私。樹木希林さんスペシャルムービー - YouTube

youtu.be

今年、あなたはひとつ歳を取る。
その度に、歳相応にとか、
いい歳してとか、つまらない言葉が、
あなたを縛ろうとする。

あなたは、耳を貸す必要なんてない。
世間の見る目なんて、
いつだって後から変わる。
来たことのない服に袖を通して、
見たことのない自分に心躍らせる。
他の誰でもない「私」を楽しむ。
そんな2017年が、
あなたには必要なのだから。

年齢を脱ぐ。
冒険を着る。

私は私

 

 

youtu.be

 

歳をとったら、歳相応の服を着なさいとか、
妻や母親、祖母という役割に
自分を合わせなさいとか、
周りの人と同じように振る舞いなさいとか。
そんな窮屈な常識は、もういらない。

あなたはもっと、個性的であっていい。
それが派手でも、大胆であっても、
堂々と着たい服を着る。
そうして、何万通りもの個性が花開いたとき、
誰も見たことのない時代が、
一歩前に進み出す。

年齢を脱ぐ。
冒険を着る。

 

ホント 「世間の見る目なんていつだって後から変わる」よなと。
良い意味でも悪い意味でも。

 

これね、樹木希林さんが言うからまた良いんだよ。

この動画見たらなんだか震えがきたわ!武者震いが!

 

「私は歳だから諦めてる、こんな立場だから、こういう状況だから今から始めても遅いし」みたいなよく陥りがちな思考は、やりたい・できないの狭間に立った時に起きる。

先ずは、やるかやらないか決めてしまえば良いよね。

 

やると決めたら、やってもやんなくても大して誰も気にしてないし、周りはすぐ忘れる精神でいくとストレスが減るかもなーと考えた。さっき。

現にピンクのニット着て外を歩いていても何も起こらないので居た堪れなさはただの自意識過剰な勘違いという事でしょう。

 

オシャレとか苦手なジャンルだし気がつけば楽チンな服ばかり選ぶのだけど自分でコレ!と思った着たい服くらい堂々と思った次第であります。

じゃまた。

一番の足枷が身内だったり近しい人だったりする場合の話

バンド活動に限らず好きな事や気になる事が家族に理解されない、友達恋人に近しい人に理解されない場合。

例えば友人から

「え、お前そういうキャラじゃねーじゃん。笑」

例えば兄弟姉妹から

「いやお前、昔めっちゃショボかったじゃん。笑」

例えば嫁・旦那から

「お前のやってること意味わかんない。そんな事より家族に役立つことしろや」

例えば両親から

「良い歳なんだからもう落ち着きなさいな。ちゃんと仕事してどーのこーの。」

「変なことはやめておけ。出すぎたことはやめておけ。」 

 

こんなん言われたら凹むねー。

うすら寒いことしてんじゃねーのか?自分は。と疑ったり何だか居た堪れなくなったりね。

 

先ずは、そういうキャラじゃない自分は 、めっちゃショボい自分、全然ちゃんとしてない自分、無益な事してるかもしれない自分、落ち着いてない自分。

 

そうでーーす!と認めてしまうのが早い。

 

ウチにもいますよ、自分の120倍口が立つ妹が。

身内だから余計に歯に衣着せぬ言い方なのか、会う度に絶妙に人の気持ちを萎えさせるセリフを吐き捨てていく。

仲良いんすけどね。

でもグサッと来る時は来てたね。

でも今となっては

「そだねー。過去の私もヤバイし今も全ッ然ちゃんとしてないもんねー。もう何とでも言えやー。どーぞどーぞ。」という感じである。

 

本当、隠しても滲み出てくるリアル頓珍漢な自分を認めざるを得ないっすよ。

 

とかく人は見てないようでガッツリ見てるし、見て欲しいようには見てくれないのよなぁ。

 

認めざるを得ないのであれば、それを受け入れた上でやっていけばいい話でそこをすっ飛ばすから何だか居た堪れなくなったりするんじゃないかと思う。

 

かく云う自分もかつては誰かにとっては超絶ウザい人間で、萎えさせマシーンで、それはもう鉛のように重たい足枷女だった。

相手になんだかんだと常識を押し付けては心の裏では好きなことしているのを超絶羨ましかった。

好きなことやりたいことを素直に表現できない自分に苛立ったり腹が立ったりというアクセル踏みたいけどブレーキベッタリな最悪なループでウザいこと極まりなかったと思う。

そんなしょうもない事を繰り返して色んな関係が無くなったりもしてね、もう絶対に誰かのやりたい事に水差すのは辞めようと固く思ったね。

それでもまだチラッと顔を出す事もある。ま、人間だから完璧にはいかない時もある。

 

最早どう生きても、そっち側に気持ちが動いちゃってんだから致しかたない事。

何しても突かれるこの時代から、誰かに痛い奴扱いされる可能性があるんだから人の足引っ張る痛い奴と自分の好きなことをただしている痛い奴なら断然!後者の方が良い。

 

結局、身内でも他人でも自分の本意は伝わることはゼロと割り切って気にせずとっととやってしまう。

誰かに受け入れられなきゃやらないっていうのもおかしい話なので最もらしい意見は自分に必要なければすっ飛ばしよしとしてさ。

ほんでコケてもこれまた経験て事で。

 

ポンコツでも関係なしにやりたい事やれるといいよなー。

じゃまた。

 

おっそろしいな。B612。

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