RINOの何でも帳

雑記的な日記

不安や緊張はある事を認めると落ち着く話

ライブ出番直前は普通に緊張している。

体もザワザワーっとするね。

胃の辺りもオエェってなる。

お食事中の人ごめんす。

 

で、緊張とか不安って掻き消そうとすれば掻き消そうとするほど強まっていくし、緊張を消そうとしてテンション上げるとこれまた空回りになるわけで。

 

場数を踏んでる人は知らないけど。

 

なんで自分は

「あぁ〜今緊張してるぅ〜ふぅ〜」みたいに今、緊張しているの認めて脱力する事にしたのね。

 

後はフロアのお客さん達を信頼すると。

ま、なんかあれば6人いるから何とかなるやろなぁとメンバーを信頼する。

あとは、まぁ本番の時に咄嗟に自分は何とか出来るやろなぁと自分に信頼を置く。

フワッと思うのが良い感じなコツ。

 

信頼イコール安心な訳ですな。

 

不安や緊張感に囚われているときは、何でもかんでも自分で背負おうと、自分だけで何とかしようとしているのでそりゃカッチカチになるのはそりゃ当たり前。

つい最近まではこうやって自分を縛り付けていたわけだ。

だからグェェっと胃からのどの辺りに込み上げてキュウキュウにそれはもう窮屈になって余計声が出にくくなり、終わって凹むという負のループ。

 

負のループを断ち切るために、思い切ってガッツリ人のことをアテにするようにした。

期待するとはまた別の話で。

どう動くかは相手次第なので。

でもまぁ何とかなる。どうにかなる。という軽い信頼感を感じるとある程度は緊張はほぐれてきて、程よい緊張感は集中力に変わる。

その集中力で全出しするとその日は結構良い感じなライブが出来るようになってご機嫌でビールが飲めるのである。

 

このフワッと信頼して今あるものを全出ししに行くという行動で楽しめる余裕も出て来たし、意外と冷静に周りを見渡せたり出来るようになった。

 

不安も緊張も悪いもんでもないから、全部排除しようとしないで上手く使えばツルッとスゥーっと流れが出来ることもある。

 

あんまりにもザワザワ感が止まらない時は空き時間にちょっと1人で喫茶店行ってお茶したりとかするとまた和らぐね。

ライブハウスの最寄り喫茶店を見つけるのが密かな楽しみでもある。

 

とにかく一回落ち着く。

ホッとしたら何か良い感じになるからね。

そのホッとした感じを本番直前に思い出すとまた良い感じ。

 

 

懐かしいの見つけた。

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 ええ歯並びしてるやないかーい!

 

じゃ、また。

 

 

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自分に集中しよ。人に影響されやすい人限定記事。

自分は本当に人に影響されやすくてね。

少なからず人は誰かに影響される、感化されるもんだとは思うけども、その範囲・深さが尋常ではないことに気づいた。

 

個性的な人と会ったり、インパクトのある意見を目にしたり聞くと、とにかく疲れてしまうのだ。

 

もちろん誰一人として悪くない。

本当に誰も悪くない。

ただ単に「影響されてしまう」自分であるからなのだと思う。

 

魅力ある人ばかりで気遅れしていたこともあるんだけどね。

今は「今の自分良いじゃない♡」と笑えることが多くある。

つい最近まで本当に迷ってたし自分のことはあまり好きでもなかったかな。

 

結構、いや、かなーーーり自分が大好きだね!

 

何となく自分のこと嫌いにしていた方がていが良い気がする。

何故だか知らないけど。

でもそれって他人に褒めれる事、認められる事を待ち続けてなくちゃいけなくて逆にしんどくね?

逆に厚かましくね?

というところに気付いた。

 

この間も知り合いと話した時に

ものすごい自信ないのか知らないけど「自分なんか、自分なんて」ってよく使うから、

もうなんか面倒になって遂に

「そだね、あなたなんかですね」と話したらやっぱり不服そうな顔したりブチギレ出したよね。

 

だって自分そうやって言ってたじゃん。

何でそれを「そうだね」って同意したら不服そうな顔したり、キレんのかなぁ?と不思議だったわ。

 

「自分なんか、自分なんて」って思ってる人にいくら「違うよ!」と伝えても自分なんかダメを信じてるから、それを力づくで覆す意味もわからないし義理もないなと諦めた。

それもそうだし、人に影響されてるなと思うときは必ず脳内で相手の良いところと自分の悪いと思っているところを比べてるんでそれ絶対凹むやつ。

 

とにかく他人を良いなぁと羨ましいなぁ思ったら

・自分にもそういう要素があるから見つけられるんだなぁ。

と、思うか

・自分とあの人はもう違う。

日本とブラジルくらい違う。

比べたりする対象になり得ない。

と、キッチリ線引きするかどちらかにしたらだいぶ楽になったよね。

 

過去に自分も色んな人に

「大丈夫だよ、自信持とうよ」と言われても、なんとなーく恥ずかしくて居た堪れなくてスルーして回避して逃げて隠れていたのだけれど。

そのくせ誰も認めてくれない!とか御門違いにキレてさ。

 

でも自分が自分で「良いね!」と思わないと、自分の欲しいものは一生やってこないんだなと。

ってか、欲しいものが来ても気づかなくて捨ててしまうんだよね。

そこに気付いてからは自分に集中する事にした。

ダメと思っていた方が今までは、ていが良かった。

でも、やっぱり自分嫌いなままだと生きづらい。

 

自分も知らず知らずに件の知り合いのようなこと無意識にしてきた事。

それは「あなた素敵だよ!」と伝えた人の気持ちも無碍にしてる。

自分にも他人にも本気で失礼なんじゃあないかと。

 

だから、自分はどういう自分にも「まぁ色々あったけど今はいい感じ」って事にして、まだまだ好きになっていこうと思えたんだよね。

 

いちいち前に出す話でもないかも知れないけど。

無意識にまた自分ダメだな。と落ち込んで調子が出なくなって回り回って誰も得しねーなー。と思ったんで、わざわざ仰々しくブログに書いて退路を断つと。

 

というわけで、唐突に過去に盛れた自分2枚をば。

 

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実はもっと自己満でいいのではないかな?と感じている。

その方が皆んなの為、自分のためにもイイ感じな気がする。

 

じゃ、また!

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SNSは習慣にしない話

SNSを常時やっていた頃とSNSを習慣から外した時の違い。

 

◼︎SNSを常日頃毎日欠かさずやっていた時

・考えが休まらない。

・考えることを休むのが怖い。

・思考が襲ってくるような。

・気がついたら指が勝手にTwitterFacebookInstagramのアプリを開いている。

・気が付いたらタイムラインも無意識にチェックしている。

・リプライやコメントが来た時に謎の焦りが生まれる。

 

とにかく、よく分からない漠然とした不安に駆られるようになったので今は殆どのタイムラインを見ることなく投稿している。

Twitterは特に誰かの思考を垂れ流すようなツールになってるから余計に見ない。

ネガティヴや自己卑下のゴミ箱をわざわざ覗く必要もないかなと。

それから誰かの謎の名言・格言、上手い事言ってる風な投稿に気持ちが動いてるのがアホらしくなってきた。

他人に影響されない人間だったら良かったけど残念ながらブレまくる人間なのでね。

見ない事で自分の精神衛生が保てるならそれで良しかなと。

自分が気分良く過ごす事を優先する。

もう本気で自分は自分以外に興味がない事がわかったので、今は余計に見ていない。

 

それに、せっかくまた始めたのに自分の気持ちがしんどくなってしまっては元も子もないので自分のペースでとにかくやることを徹底している。

自分にとっては垂れ流し情報を目で追う行為が余計に考えを混乱させていることに気が付いたのはつい最近の話。

 

何をそんなに情報を欲しがっていたのか。 リアルタイムに欲しい情報って冷静に考えるとそんなに無い。

何をやたらに繋がりを欲していたのだろうと考えると、殆どが惰性で周りに流されてやっていたにすぎないということが解る。

中身のない繋がりほど虚しいものはない。

本当に繋がりたい人なんてごく少数だ。

自分が本当に大事に思ってる人とはリアルで会っているし。

という風に考えたらかなり楽になった。

 

 ◼︎SNSを習慣にしなくなった今

・発信することに徹する事ができる

・誰かの投稿に心が揺れる事がなくなった

・情報を主体的に選べるようになった

・リアルに目の前の人と話すのが楽しい

・自分の頭で考える事が楽しい

SNS投稿用に写真を撮る事が少なくなり肉眼で見る事が楽しい

 

「つーかこれ、普通じゃね?」というレベルで楽しみが増えたね。

肉眼で見るとか当たり前の事だけど、なんかすぐ写メりたくなるじゃん。

食事とかもすぐ写メりたくなるじゃん。

それが無いってだけでこんなに臨場感が!みたいな意味わからん感動が生まれてきたよね。

 

目の前の人の話とかも、SNSをやり出したからはマトモに聞いてなかったんだなぁと改めて思うよね。

「え!君、そんなに面白い話持ってたん!?」的な発見。

これは勿体無い事してたよね。

 

それに何でもかんでも瞬間に投稿すると素材丸投げみたいな感じでね。

勿体無いかなとか。

この辺、上手く表現できないんだけど。

 

辞めたら分かる事が色々あるね。

とにかく目の前のことを楽しめるようになったのは大きい。

当たり前に目の前にあることなのに気づかなかったよね。

もうなんかSNSは虚像に近いんじゃないかなぁとか思い出したり。

SNSやってる時とリアルの人格違うとかザラにあるからね。

自分は会って話して確かめたいタイプだな。

 

ま、こーやって偉そうなこと書いた5分後に「ラーメン美味い!」とか投稿したりするかもしれんけど。

適当なのが自分なんで。

 

ぼちぼち適当にやりますから。

じゃ、また。

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正しさリンチの話

昨日、一昨日とテレビ見てて

なんとなく浮かんできた言葉


「正しさが束になって襲ってくる。」

 

それと同時に
「正しければ、何をやってもいいのか?」
というような疑問が生まれきた。

 

楽しい・面白いに価値を置かずに
正しい・間違っているに重きを置いているから、つまらなくなるし本当にしたい事が分からない。

正しくなければ大変な事が起きる。と信じたいのだろうけど。
どれだけ世間に対して不信感があるのだろうかと考える。


また、常に間違った存在を見つける・見張るから自分に目を向ける事もしないん
だろう。
もしくは自分自身の都合悪いところには目を向けたくないから、間違った存在を叩いては悦に入るという趣味の悪い事しているのだろうか。

自覚はないだろうが少しでも正しい事から逸脱した者を「正しい」事を盾に集団でリンチしているように見えた。

 

楽しさを提供する側、

例えば芸能人は一挙手一投足を
「正しい」集団におもちゃにされては途轍もなくやりづらいだろうなと察する。


「正しさ」で吊るし上げるのは果たして「正しい」行為なのか。

 

正しい正しくないと裁いてる方は自身をどれだけの聖人だと思っているのか。

 

たまには正しくなくてもいいから面白いに飛び込んで生きたいわな。

 

じゃ、また。

 

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そうなってしまうにはそうしてしまう訳があると思う話

1人でいる時に色んなこと考えるのが趣味なんだけど、自分の頭の中を整理整頓できるブログは便利だな。

にしても、あまりにも簡素過ぎてな。大丈夫か?とたまに思うけど。

バンドの話もあまりしないし益々抽象的になっていく感じもするな。

とはいえ好きな時に好きなだけ好きな事を勝手に唐突に書くけど。 

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何かに依存してるとき。

辞めたくても辞められない時。

なんでわざわざそっちの方向に行く?というような事に陥ってしまう時。

そうなってしまうにはそうしてしまう訳がある。

 

そうなってしまう訳は結論

「自分の言いたいことを言えないこんな世の中じゃポイズン」状態なんじゃなかろうかと。

 

別の表現をすると

「人当たりよく真面目で本音を言わない」から我の強い人間に囚われているってこと。

或いは利他的な思想の度が過ぎてるんだろうと思う。

一般的に「いい子」「いい人」と呼ばれる人がある日を境に所謂タブーを犯す事が多い。

または表向き「いい子」にしているから裏では帳尻を合わせるように一般的に悪とされる事に引きずられていく事は多い。

いい子・いい人という仮面をかぶっている最中は常に誰かの期待に答えているような、何かに追い立てられているような気が気ではない感覚に囚われているのではないかなと思う。

いい子の仮面の中に本来ある自分を隠し続けるのはかなり疲れるので、心は無意識でも助けを求める。

もう、溺れる者は藁をもつかむ状態。

それがどんなに魔だろうが鬼だろうが構わずに袖を引っ張る事になる。

そうならないためには「いい人・いい子」なんかはさっさと辞めてしまう事に限る。

本当の自分というのは歪なところが随所に有ると早々に諦めてしまった方が早い。

世の中は道徳観念だけでは成り立っていないという現実を早々に受け入れた方が余計に思い悩む事もないのではと思う。

道徳観念だけでは成り立っていない世間の一端を担っている自分だってそこまで大して良い人間ではないのだ。と認める事でいい人の役割から降りる事が出来る。

 

そこまで大して良い人間でないのならどうするか。

いい人やって言いたい事を我慢したり

人当たりの良い事したり

同調圧力に便乗したり

そんな事は一切する必要はなくなるということ。

 

その全ての答えが反町隆史主演のドラマGTOのOPを飾ったこの曲だと考える。

 

youtu.be

独特の耳にこびり付いて離れない曲と歌詞。

一体、何が言いたいんだこの歌は。

と幼心に思ってたけど、これが全てだね。

言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン

この1フレーズに全ての叡智が濃縮されている。

www.utamap.com

 

社会と接触するようになると物知り顔で奥歯に物詰まった感じで話すのが一人前みたいな所がある。

いや、そこ濁します?みたいな。

何?その暗黙の了解みたいな。 

何だか知らないけど兎にも角にも隠すことが当たり前になる。

隠せば大人みたいな所がある。

 

教育の場でも仲良くしましょうとか、外面良くしましょうとか他人を大事にしましょうとか色々と「外側」に向けてのことしか教わらない事も、また元々いい人になり得る素質を持っている人たちを追い詰める事になるのだろう。

 

穏便に円満に仲良くなんて思わないで、誤解されても言いたい事は言えば良いし、やりたい事はやれば良い。

誰かの期待に応える事なんて一切しなくてもいい。

 

それから

もし万が一「そうなっちゃってる」人を見て

「あ、こいつは何かおかしい事になってる」とせせら笑うのか

「この人は何かつらかったんだろうな」と察するのかで見えてる全然世界が違うものになるわけで。

 

当人が本気で悩んでる事なんて他人にとってはギャグみたいな事が多い。

いざ自分に降りかかると途轍もなく大袈裟に感じるんだけど、他人に話すとそこまで深刻じゃないとなる不思議。

悩みの全ては自意識過剰な時に起こり得る偏った見方なのだろうな。

そう思っていてもいとも容易く苦悩の淵に落ちるのが人間だし。

 

ま、なかなか言いづらいこともあるけど言った方が自他共に気持ちがいいと分かるまで結構時間かかった方だからな。

 

何度か書いてる通り、言わないで限界まで溜めると核兵器に自分が成ってしまい収拾がつかなくなるからね。

 

今年は、より歯に衣着せぬ感じで行きたい。

 

 

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Amazon.co.jp: 反町隆史, 吉田建 : "POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~/If you love me, don’t for" - ミュージック

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自由が似合ってる人は自由にやればいい話

先日、学生時代の男友達と飲みに行った。

頭が痛い。色んな意味で。

まずさ、あまりの変わりように驚いたよね。

顔色悪いし、痩せてるし、目も陥ち窪んじゃってさ。

彼は学生時代ギラついていて恰好は変だったけど目立ってて、話が面白くてギターが好きでいつもフットワークが軽くてアクティブで最高だったのに。

人の悩み相談なんかの類は一番嫌いな話題なのに、さすがにここまでコテンパンな相手を見るとな。

ちょっとは話聞くよ。っていう流れになるわな。

 

離婚するとかしないとか。

てか、この手の話を昨年から自分の周りで何人も聞いていて時代も変わったもんだと思ったわけ。

良し悪しは別としてスタンダードは常に変わっていくものなんだな。

 

とりあえず、どうしたマジで。

あのなんだか知らないけどギラギラしていてユーモアに富んだ雰囲気は一体どこへ行った?

何でも笑い話してたのに。

今回の話は一つも面白くなかった。

 

片思いしてたあの子に、何年もかけてコツコツ撮り貯めてたオリジナル曲のMDを貸してほんの数時間で無くされた時だって、バンドやってた頃に急遽サポートで呼んだ同級生が実は8ビートすらロクに叩けなかったポンコツ妄想癖な事が発覚してライブ飛ばした時だって、どんなに辛い事があったって、それでも笑い話にしてたじゃないか!

 

頑張って立派に公務員になったじゃないか。

子供だって賢く育ってさ。

フルオーダーで家も建てたじゃないか。

 

努力してきたのかもしれないけどさ。

らしく生きていないならどんな決断でも受け入れるから、頼むから!あの面白かった頃のアンタを取り戻してくれと。

 

大体にして自分と相手がお互いに自由な感覚でいられないなら、その関係はおかしいんだから。

嫁の尻に敷かれててさ・・へへへ。っていう弱い旦那をやっていたいならそうすればいいけど干からびたままでいるのはちょっと違うんじゃないか?

 

ここ最近、自分の周りとその先を見てると社会的な目線に縛られて、本来その人の持つ自由さや軽やかさが失われたように感じる。

それに無責任に世間的にはどうという目線で物事を語る人間が心底嫌いだと改めて思ったね。

そういう話題が誰かを追い詰めている場合がある。

別にどの枠に収まらなきゃいけないって事もないんだからもういいじゃねーか。

好きにやらせろ。

今、好きにやってんだからいいだろ別に。

なんか迷惑かけてんのか?

うるせーんだよ。

と、イラついてしまう器がおちょこサイズの自分がいる。

 

たとえどんな立場だって何だって好きな事を好きなだけやればいいんだよ。

賭けるものがあるなら、それに賭けていればいいんだから。

 

自由が似合ってる人は自由にやればいいんだ。

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しんどくならない。じゃなくてしんどくなったらどうする?という話

人間なんてすぐしんどくなる生き物で、それが正常で普通な事だと思えば下手に過信する事は無くなるしオーバーワークせずに済むと思う。

それに嫌なこと、嫌だなと思うことを何時間もやってる事自体がもうおかしいと気づく必要がある。

わざわざしんどくしてやる事なんて一つもない。

 

自分を過信したり過小評価したりして、しんどい思いして精神的にギスギスして周りに当たり散らしてたらそれこそ大迷惑な話で、しんどいのを我慢して人に毒吐いてるならもういっそ辞めた方がいい。

しんどいなら即辞めること。

無理してるんだから自分のサイズに合っていないということ。

会社に限らず組織というのは自分がいなくなっても止まることはないし問題なく回るもの。

なんとか補填するように画策するから。

自分がいなければ回らないというのは奢りな訳で自分がいなければいけないという組織があるなら相当マズい。

どんなポジションでも自分がいなくなって潰れる組織ならもうそんなに長い事ないでしょう。

組織は集団で負担を少なく手分けしてやることが大元だから。

それに自分をそこまで苦しめる組織だったら無くなってくれた方が良いじゃないか。

 

自分だけは自分で守るしかない。

自分とこの組織が嫌だからって、愚痴言って毒撒いて同じように自分もそれに染まらなくていい。

仕えるという感覚から離れる。

上下関係をやめる。

交渉する。

 

対等であることが全てだ。

今、何も無くてもないままで対等です。

無いっていってもあるんです。

経験の中で何かしらあるはず。

無ければ付け焼き刃でいいのでとりあえずやる。

圧力掛けてくるなら圧力で返すか逃げる。

 

しんどくなってしまったら。

逃げろ!走れ!

そこだけは頑張れ。

 

しんどくなってしまったら。

止まれ、休め、寝ろ。

そこだけは頑張れ。

 

どうしても前に進まなければいけないと思っている時こそ止まる、休む。

しんどい気持ちを抜ける一番の方法は無理しない事だ。

 

しんどい方向に追い込んでいる自分に視点とエネルギーの向かう先が違うと教えてくれている。

気づかんと本当に倒れてしまうよ。

しんどい事をしてる場合じゃないということだよ。

 

組織と書いたが、多分どの関係性もそう。

 

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