RINOの何でも帳

MECHANICAL TEDDY RINOの雑記的な日記

人の期待に応えようとしていたら一度止めるようにした話

どの場面でも誰かの期待に応えようとした瞬間から楽しくなくなるので一旦立ち止まるようにしたのはつい最近のことだが生きるのが格段に楽になった。

 

何を今まで無駄な責任感を背負っていたのだろうという気分でいる。

まぁ元々人様に仕えるほどデキた人間ではないと言うことは薄々気がついてはいたが、どうもそういった「誰かの期待を引き受ける事」に関してはやらざるを得ないような気でいたし当たり前に義務と思っていた節があり、期待値以下しか出来ない自分を責め立てたりしているところがあり非常に苦しかった。

もちろん誰かの喜ぶ顔が嫌いなわけではないけど、自分の中に満足感や爽快感や達成感を感じないのはなぜなのだろうか。自分が全く楽しくなく苛立ち、気ままに生きてるように見える人間に対して嫉妬心を覚えるというループにハマることが多いなという風に考えていた。

 

答えは単純に自己犠牲の賜物ではないかと考える。

自己犠牲は事実をも歪ませる力を持っているし、周囲を加害者に自分を被害者に仕立て上げてしまう。

 

歪んだ事実に基づいて生活するので周囲に頼ることができなくなり、頭の中でいるはずない自分で仕立て上げた加害者と一人相撲している状態なので、大して動いてないのにとてつもなく疲れる。というか休んでもなんか疲れる。という悪循環に陥ってしまう。

 

抜け出す対処法は至ってシンプルに人の期待に応えることを辞めてみるという事。

 

やってみるとわかる事。

大して人は自分に期待などしていないのだ、たとえ期待されていたとしても自分自身の全てというよりも自分の一部分しか必要とされていなかった。なんて少し寂しい現実に直面する。

しかし、この寂しさの原因は今まで自分だけで踏ん張ってやるしかない!という歪んだ概念が消えた合図なので、この寂しさをきっかけに自由気ままにやり始めればいい。

 

人は誰かのためにいるようでもあり、本質的には総じて自分のためだけに自分がいるという事に気がつくことがどれだけ気分が軽くなることか。

 

というわけで例年以上に自分自身のためにズボラで面倒くさがりを発揮することになる。

卑屈になった分いざ何か始めようとした時にそれが足を引っ張る話

卑屈になるといざ自分が何か新しいことを始めようとする時に120%足枷になる。

他人に向けた卑屈さが何倍にもなって自分を縛るようになる。

ずっとその場所でいるぶんには問題ないけど何かのキッカケで

「よし!いっちょやったろう!」

と思い立った時に足を引っ張るのは先ずは自分自身である。

自分を自分で引き摺り下ろす力は半端ではない。

抵抗すれば抵抗した分だけ負荷が掛かるのでずっと同じ場所にいるしかないような気になる。

 

ここで一気に乗り越えようとか思わないで抜き足・差し足・摺り足・スライド方式で淡々とそっと動いた方が無難なのだが、自分で仕掛け続けた罠は巧妙にできている。

 

毎日毒づいてる人は毎日自分自身に毒を盛っている事になる事を知らない。

批評家気取りであーだこうだと言ってる時はもれなく自分自身もシッカリと裁いている。

 

そのツケがいざ立ち上がる時に猛威を振るう。

自分の分を弁えるとかそんなレベルではなく強烈な自己嫌悪として返ってきて自分を小さくまとめてしまうのだ。

 

自分だけではなく自覚なしに他人の可能性も潰してしまうこともあるので余計に厄介。

 

気づいたら自主回収するより他ない。

てかオススメしないとか失礼だろ?の話

バンド活動はオススメしない?やりたいことをやれる幸せ、苦悩 - RINOの何でも帳

 

昨日のブログ書いててハタと気付いたけど、人がやりてーつってる事をオススメしないだのって平気で言う奴って失礼ぶっこきじゃね?とか思った今更に思った次第で。

今思い出したけど、そりゃお前の考え方だったらつまんねーわ!という感じのしょうもない印象だったな。

 

 

やりたい事はやっちまえ、どんどんやれやれ!

何するにも誰の許可も要らんのだから。

という海のようにひろーーーい気持ちで自分に接していきたいわねー。

「自分に」ね!

 

本当に本当のやりたい事や大切にしたいことに関しては口外他言はしたくない派なのだが、チラッと話した時に生温く見守ってくれる人と、それいいね!と言ってくれる人は一生涯大事にしたいもんねぇ。

この日本国に於いてはねぇ。余計にねぇ。うん。 

なぜそうしてくれてるのかよく分からないけどねぇ。有難いねぇ。

 

とりあえずコレと決めて始めたものに関しては他人にあんまし言わない方が計画は育つかも知れないとか思った。

元々が猜疑心丸出しの人嫌いなので余計にそうしてるのよねぇ。

 

にも関わらず!

ほぼフザけて語ることしかない捻くれ者と仲良くしてくれてる奇特な方々には本当に感謝でございますな!

それに出来るだけ人といるときは馬鹿みたいな話か具体的に何しよっか。

みたいな話しかしたくないんだよねー。

 

という所感。

じゃ!また。 

バンド活動はオススメしない?やりたいことをやれる幸せ、苦悩

バンド始める前。

バンドやってみたい旨を知人のバンドマンにちらっと話したら

「やめた方がいいよー。オススメしないよー。いざ入ったらもうホント色々大変だよ。」

と止められたことがある。

 

なんとなくシビアに語る相手をみて

「かっけー!益々やりたくなっちゃうもんね!!」

と、更に憧れた。

 

上にあげた「色々大変」とは大まかにいえば、やはり金銭の事と人間関係。

 

実際やってみると

人間関係と金銭関係が普段の社会生活よりも色濃く感じられた。

ただ、かなり恵まれている方だとは思う。

他所の中のことは知らないし大して興味もないけど。

 

何となしに、ふんわりボンヤリした理想を持ちながらそこに入ると

「思ってたんとちゃうやろがい!!」なんてことは多い。

自分の理想を汚されたような。

しばらくして自分の見た世界に折り合いつけて、こういうものなんだと諦め始めるのが大体の見立てだが、バンド活動に関しては有難い事にそこまでの落胆はなかった。

周りもその辺の社会人よりマトモで礼儀正しい印象だったので表面上は上手くやりくりしていたような雰囲気だったし。

だいぶ濁すが、どこの界隈に於いても自分起因だったり不可抗力だったりで多かれ少なかれの面倒は起こるわけでそこを込みでも自分の中ではマイペースでやれているのではと思う。

 

「色々大変」の部分はもっと詳細に聞いて自分の中で整理しておくと予想外な事に出くわす事も少なかったかなと思うけど、その時は始めることが遅れるほうがリスクだった。

やりたいという気持ちで見切り発車した訳だが先ずは人を見る目だけは養った方が良いのかもな。

 

バンド活動に於ける最大のメリットとしてはとにかく経験が得られる事、デメリットは、いとも簡単に自分の想定を超える事が良くも悪くも起こる事。

それが経験の表裏なんだけども、できるだけの胆力とある程度の開き直りとドライさが必要と考える。

割とゆるいペースでバンド活動してこんな事を考えるので自分の何倍とライブ本数をこなしているバンドはとてつもない精神力なのだろうなと偶に思う。

 

あとは失敗することに価値を感じられかどうかというところだろうか。

これはメンバーに教えてもらったが、「とりあえずこういう経験なんだ。とするのが良し」との事なので、その頃は失敗を超絶に怖がり小刻みに震えていた小市民な自分は、とりあえずそういうもんだ。と思うことにしたのである。

 

ハングリー精神というわけでもなく失敗から学ぶとかでもなく単純に経験がデータ化されるという事の価値は大きい。

あ、これが経験値か。

どうでも良いけどハングリー精神で言葉、大っ嫌いだな。

 

今の気持ちとしてはもうやるだけやって無理ならまた考えようという心持ちである。

 

一度始めたバンド活動でのライブの至福感からは離れられないし歌うことに関しても、いつ何時どんな時でも人よりも大きな鼻歌を歌っているのだから辞めるやめないとかの話ではない。

どんなでも何かしら歌っている思う。

 

当初はオススメされなかったけれど最終的は自分で選んだ事が一番よかったなと。

 

 楽しいもんね。

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不安や緊張はある事を認めると落ち着く話

ライブ出番直前は普通に緊張している。

体もザワザワーっとするね。

胃の辺りもオエェってなる。

お食事中の人ごめんす。

 

で、緊張とか不安って掻き消そうとすれば掻き消そうとするほど強まっていくし、緊張を消そうとしてテンション上げるとこれまた空回りになるわけで。

 

場数を踏んでる人は知らないけど。

 

なんで自分は

「あぁ〜今緊張してるぅ〜ふぅ〜」みたいに今、緊張しているの認めて脱力する事にしたのね。

 

後はフロアのお客さん達を信頼すると。

ま、なんかあれば6人いるから何とかなるやろなぁとメンバーを信頼する。

あとは、まぁ本番の時に咄嗟に自分は何とか出来るやろなぁと自分に信頼を置く。

フワッと思うのが良い感じなコツ。

 

信頼イコール安心な訳ですな。

 

不安や緊張感に囚われているときは、何でもかんでも自分で背負おうと、自分だけで何とかしようとしているのでそりゃカッチカチになるのはそりゃ当たり前。

つい最近まではこうやって自分を縛り付けていたわけだ。

だからグェェっと胃からのどの辺りに込み上げてキュウキュウにそれはもう窮屈になって余計声が出にくくなり、終わって凹むという負のループ。

 

負のループを断ち切るために、思い切ってガッツリ人のことをアテにするようにした。

期待するとはまた別の話で。

どう動くかは相手次第なので。

でもまぁ何とかなる。どうにかなる。という軽い信頼感を感じるとある程度は緊張はほぐれてきて、程よい緊張感は集中力に変わる。

その集中力で全出しするとその日は結構良い感じなライブが出来るようになってご機嫌でビールが飲めるのである。

 

このフワッと信頼して今あるものを全出ししに行くという行動で楽しめる余裕も出て来たし、意外と冷静に周りを見渡せたり出来るようになった。

 

不安も緊張も悪いもんでもないから、全部排除しようとしないで上手く使えばツルッとスゥーっと流れが出来ることもある。

 

あんまりにもザワザワ感が止まらない時は空き時間にちょっと1人で喫茶店行ってお茶したりとかするとまた和らぐね。

ライブハウスの最寄り喫茶店を見つけるのが密かな楽しみでもある。

 

とにかく一回落ち着く。

ホッとしたら何か良い感じになるからね。

そのホッとした感じを本番直前に思い出すとまた良い感じ。

 

 

懐かしいの見つけた。

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 ええ歯並びしてるやないかーい!

 

じゃ、また。

 

 

自分に集中しよ。人に影響されやすい人限定記事。

自分は本当に人に影響されやすくてね。

少なからず人は誰かに影響される、感化されるもんだとは思うけども、その範囲・深さが尋常ではないことに気づいた。

 

個性的な人と会ったり、インパクトのある意見を目にしたり聞くと、とにかく疲れてしまうのだ。

 

もちろん誰一人として悪くない。

本当に誰も悪くない。

ただ単に「影響されてしまう」自分であるからなのだと思う。

 

魅力ある人ばかりで気遅れしていたこともあるんだけどね。

今は「今の自分良いじゃない♡」と笑えることが多くある。

つい最近まで本当に迷ってたし自分のことはあまり好きでもなかったかな。

 

結構、いや、かなーーーり自分が大好きだね!

 

何となく自分のこと嫌いにしていた方がていが良い気がする。

何故だか知らないけど。

でもそれって他人に褒めれる事、認められる事を待ち続けてなくちゃいけなくて逆にしんどくね?

逆に厚かましくね?

というところに気付いた。

 

この間も知り合いと話した時に

ものすごい自信ないのか知らないけど「自分なんか、自分なんて」ってよく使うから、

もうなんか面倒になって遂に

「そだね、あなたなんかですね」と話したらやっぱり不服そうな顔したりブチギレ出したよね。

 

だって自分そうやって言ってたじゃん。

何でそれを「そうだね」って同意したら不服そうな顔したり、キレんのかなぁ?と不思議だったわ。

 

「自分なんか、自分なんて」って思ってる人にいくら「違うよ!」と伝えても自分なんかダメを信じてるから、それを力づくで覆す意味もわからないし義理もないなと諦めた。

それもそうだし、人に影響されてるなと思うときは必ず脳内で相手の良いところと自分の悪いと思っているところを比べてるんでそれ絶対凹むやつ。

 

とにかく他人を良いなぁと羨ましいなぁ思ったら

・自分にもそういう要素があるから見つけられるんだなぁ。

と、思うか

・自分とあの人はもう違う。

日本とブラジルくらい違う。

比べたりする対象になり得ない。

と、キッチリ線引きするかどちらかにしたらだいぶ楽になったよね。

 

過去に自分も色んな人に

「大丈夫だよ、自信持とうよ」と言われても、なんとなーく恥ずかしくて居た堪れなくてスルーして回避して逃げて隠れていたのだけれど。

そのくせ誰も認めてくれない!とか御門違いにキレてさ。

 

でも自分が自分で「良いね!」と思わないと、自分の欲しいものは一生やってこないんだなと。

ってか、欲しいものが来ても気づかなくて捨ててしまうんだよね。

そこに気付いてからは自分に集中する事にした。

ダメと思っていた方が今までは、ていが良かった。

でも、やっぱり自分嫌いなままだと生きづらい。

 

自分も知らず知らずに件の知り合いのようなこと無意識にしてきた事。

それは「あなた素敵だよ!」と伝えた人の気持ちも無碍にしてる。

自分にも他人にも本気で失礼なんじゃあないかと。

 

だから、自分はどういう自分にも「まぁ色々あったけど今はいい感じ」って事にして、まだまだ好きになっていこうと思えたんだよね。

 

いちいち前に出す話でもないかも知れないけど。

無意識にまた自分ダメだな。と落ち込んで調子が出なくなって回り回って誰も得しねーなー。と思ったんで、わざわざ仰々しくブログに書いて退路を断つと。

 

というわけで、唐突に過去に盛れた自分2枚をば。

 

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実はもっと自己満でいいのではないかな?と感じている。

その方が皆んなの為、自分のためにもイイ感じな気がする。

 

じゃ、また!

SNSは習慣にしない話

SNSを常時やっていた頃とSNSを習慣から外した時の違い。

 

◼︎SNSを常日頃毎日欠かさずやっていた時

・考えが休まらない。

・考えることを休むのが怖い。

・思考が襲ってくるような。

・気がついたら指が勝手にTwitterFacebookInstagramのアプリを開いている。

・気が付いたらタイムラインも無意識にチェックしている。

・リプライやコメントが来た時に謎の焦りが生まれる。

 

とにかく、よく分からない漠然とした不安に駆られるようになったので今は殆どのタイムラインを見ることなく投稿している。

Twitterは特に誰かの思考を垂れ流すようなツールになってるから余計に見ない。

ネガティヴや自己卑下のゴミ箱をわざわざ覗く必要もないかなと。

それから誰かの謎の名言・格言、上手い事言ってる風な投稿に気持ちが動いてるのがアホらしくなってきた。

他人に影響されない人間だったら良かったけど残念ながらブレまくる人間なのでね。

見ない事で自分の精神衛生が保てるならそれで良しかなと。

自分が気分良く過ごす事を優先する。

もう本気で自分は自分以外に興味がない事がわかったので、今は余計に見ていない。

 

それに、せっかくまた始めたのに自分の気持ちがしんどくなってしまっては元も子もないので自分のペースでとにかくやることを徹底している。

自分にとっては垂れ流し情報を目で追う行為が余計に考えを混乱させていることに気が付いたのはつい最近の話。

 

何をそんなに情報を欲しがっていたのか。 リアルタイムに欲しい情報って冷静に考えるとそんなに無い。

何をやたらに繋がりを欲していたのだろうと考えると、殆どが惰性で周りに流されてやっていたにすぎないということが解る。

中身のない繋がりほど虚しいものはない。

本当に繋がりたい人なんてごく少数だ。

自分が本当に大事に思ってる人とはリアルで会っているし。

という風に考えたらかなり楽になった。

 

 ◼︎SNSを習慣にしなくなった今

・発信することに徹する事ができる

・誰かの投稿に心が揺れる事がなくなった

・情報を主体的に選べるようになった

・リアルに目の前の人と話すのが楽しい

・自分の頭で考える事が楽しい

SNS投稿用に写真を撮る事が少なくなり肉眼で見る事が楽しい

 

「つーかこれ、普通じゃね?」というレベルで楽しみが増えたね。

肉眼で見るとか当たり前の事だけど、なんかすぐ写メりたくなるじゃん。

食事とかもすぐ写メりたくなるじゃん。

それが無いってだけでこんなに臨場感が!みたいな意味わからん感動が生まれてきたよね。

 

目の前の人の話とかも、SNSをやり出したからはマトモに聞いてなかったんだなぁと改めて思うよね。

「え!君、そんなに面白い話持ってたん!?」的な発見。

これは勿体無い事してたよね。

 

それに何でもかんでも瞬間に投稿すると素材丸投げみたいな感じでね。

勿体無いかなとか。

この辺、上手く表現できないんだけど。

 

辞めたら分かる事が色々あるね。

とにかく目の前のことを楽しめるようになったのは大きい。

当たり前に目の前にあることなのに気づかなかったよね。

もうなんかSNSは虚像に近いんじゃないかなぁとか思い出したり。

SNSやってる時とリアルの人格違うとかザラにあるからね。

自分は会って話して確かめたいタイプだな。

 

ま、こーやって偉そうなこと書いた5分後に「ラーメン美味い!」とか投稿したりするかもしれんけど。

適当なのが自分なんで。

 

ぼちぼち適当にやりますから。

じゃ、また。

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