RINOの何でも帳

MECHANICAL TEDDY RINOの雑記的な日記

樹木希林さんに、このセリフ言われたらシビれるね!の話

たまにはカラーニットとか着よかなと思い。

春とはいえまだまだ寒いしな。

首あったかハイネックが◎

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ここ1年ばかし黒Tにパーカーにジーパンでしたが暖かくなると急に鮮やかな色とか着たくなるよね。

 

ほんで久しぶりにピンクの面積多い服を着たら、いつもの如くなんだか知らないけど自分が居た堪れなくなってね。

ついでに書くと自撮りも居た堪れなくなる時もある。

好きでやってるはずなのに何故かね。

長年好きだった事、やりたい事を制限してるとこうなりますね。はい。

こんなメンタルですよ、自分なんざ!

ハハ!

 

そんな時に思い出した西武・そごうのCM

youtubeで見てめちゃくちゃシビれた!

樹木希林さん、半端無くエッジ効いてるっす!カッケーっす!!

 

あの率直にモノを言う姿勢が好きで。

数年前にお見かけする機会があって印象は小さくて穏やかで気遣い溢れるご婦人な感じなのに芯の強さとかじゃ言い切れない、なんというか極太な意思があってめちゃくちゃ格好良かったんですわ。

 

【西武・そごう】わたしは、私。樹木希林さんスペシャルムービー - YouTube

youtu.be

今年、あなたはひとつ歳を取る。
その度に、歳相応にとか、
いい歳してとか、つまらない言葉が、
あなたを縛ろうとする。

あなたは、耳を貸す必要なんてない。
世間の見る目なんて、
いつだって後から変わる。
来たことのない服に袖を通して、
見たことのない自分に心躍らせる。
他の誰でもない「私」を楽しむ。
そんな2017年が、
あなたには必要なのだから。

年齢を脱ぐ。
冒険を着る。

私は私

 

 

youtu.be

 

歳をとったら、歳相応の服を着なさいとか、
妻や母親、祖母という役割に
自分を合わせなさいとか、
周りの人と同じように振る舞いなさいとか。
そんな窮屈な常識は、もういらない。

あなたはもっと、個性的であっていい。
それが派手でも、大胆であっても、
堂々と着たい服を着る。
そうして、何万通りもの個性が花開いたとき、
誰も見たことのない時代が、
一歩前に進み出す。

年齢を脱ぐ。
冒険を着る。

 

ホント 「世間の見る目なんていつだって後から変わる」よなと。
良い意味でも悪い意味でも。

 

これね、樹木希林さんが言うからまた良いんだよ。

この動画見たらなんだか震えがきたわ!武者震いが!

 

「私は歳だから諦めてる、こんな立場だから、こういう状況だから今から始めても遅いし」みたいなよく陥りがちな思考は、やりたい・できないの狭間に立った時に起きる。

先ずは、やるかやらないか決めてしまえば良いよね。

 

やると決めたら、やってもやんなくても大して誰も気にしてないし、周りはすぐ忘れる精神でいくとストレスが減るかもなーと考えた。さっき。

現にピンクのニット着て外を歩いていても何も起こらないので居た堪れなさはただの自意識過剰な勘違いという事でしょう。

 

オシャレとか苦手なジャンルだし気がつけば楽チンな服ばかり選ぶのだけど自分でコレ!と思った着たい服くらい堂々と思った次第であります。

じゃまた。

一番の足枷が身内だったり近しい人だったりする場合の話

バンド活動に限らず好きな事や気になる事が家族に理解されない、友達恋人に近しい人に理解されない場合。

例えば友人から

「え、お前そういうキャラじゃねーじゃん。笑」

例えば兄弟姉妹から

「いやお前、昔めっちゃショボかったじゃん。笑」

例えば嫁・旦那から

「お前のやってること意味わかんない。そんな事より家族に役立つことしろや」

例えば両親から

「良い歳なんだからもう落ち着きなさいな。ちゃんと仕事してどーのこーの。」

「変なことはやめておけ。出すぎたことはやめておけ。」 

 

こんなん言われたら凹むねー。

うすら寒いことしてんじゃねーのか?自分は。と疑ったり何だか居た堪れなくなったりね。

 

先ずは、そういうキャラじゃない自分は 、めっちゃショボい自分、全然ちゃんとしてない自分、無益な事してるかもしれない自分、落ち着いてない自分。

 

そうでーーす!と認めてしまうのが早い。

 

ウチにもいますよ、自分の120倍口が立つ妹が。

身内だから余計に歯に衣着せぬ言い方なのか、会う度に絶妙に人の気持ちを萎えさせるセリフを吐き捨てていく。

仲良いんすけどね。

でもグサッと来る時は来てたね。

でも今となっては

「そだねー。過去の私もヤバイし今も全ッ然ちゃんとしてないもんねー。もう何とでも言えやー。どーぞどーぞ。」という感じである。

 

本当、隠しても滲み出てくるリアル頓珍漢な自分を認めざるを得ないっすよ。

 

とかく人は見てないようでガッツリ見てるし、見て欲しいようには見てくれないのよなぁ。

 

認めざるを得ないのであれば、それを受け入れた上でやっていけばいい話でそこをすっ飛ばすから何だか居た堪れなくなったりするんじゃないかと思う。

 

かく云う自分もかつては誰かにとっては超絶ウザい人間で、萎えさせマシーンで、それはもう鉛のように重たい足枷女だった。

相手になんだかんだと常識を押し付けては心の裏では好きなことしているのを超絶羨ましかった。

好きなことやりたいことを素直に表現できない自分に苛立ったり腹が立ったりというアクセル踏みたいけどブレーキベッタリな最悪なループでウザいこと極まりなかったと思う。

そんなしょうもない事を繰り返して色んな関係が無くなったりもしてね、もう絶対に誰かのやりたい事に水差すのは辞めようと固く思ったね。

それでもまだチラッと顔を出す事もある。ま、人間だから完璧にはいかない時もある。

 

最早どう生きても、そっち側に気持ちが動いちゃってんだから致しかたない事。

何しても突かれるこの時代から、誰かに痛い奴扱いされる可能性があるんだから人の足引っ張る痛い奴と自分の好きなことをただしている痛い奴なら断然!後者の方が良い。

 

結局、身内でも他人でも自分の本意は伝わることはゼロと割り切って気にせずとっととやってしまう。

誰かに受け入れられなきゃやらないっていうのもおかしい話なので最もらしい意見は自分に必要なければすっ飛ばしよしとしてさ。

ほんでコケてもこれまた経験て事で。

 

ポンコツでも関係なしにやりたい事やれるといいよなー。

じゃまた。

 

おっそろしいな。B612。

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ふとやりたい事に特に意味はない話

やりたい事に特に意味はないのかもしれない。

「なんかやりたいなー」とフワッとぼんやりと何となく頭のどこかでは考えていてタイミングが来たら突然スイッチが入る感じだ。

それが実るかどうかなんてあまり考えなしに始めたものが長く続けられたりする。

本当に理由なんかどうでもいいと思う。

確かに周りは「なんで?」とか「今更?」「何が起きた?」みたいに言ってくるかも知らんが、そこはバカ正直に引っ込めないでテキトーに言い訳でもしてやり過ごして自分の「何となく」に正直になった方が、一時恥をかいたような気がするが長い目で見てだいぶ得な気がする。

最大の損は周りの「なんで?」という好奇の目に怯んでやりたいことを引っ込めてしまう事。

大それた理由がないと始めてはいけないような気になって辞めてしまうのが一番勿体無い。

ダメならダメでまた元に戻ればいいだけで、見切りがついたら速攻でお終いにしてしまえばいい。

 

全員例外なく最終的には自分のこと以外に関して興味のかけらもないくせに人のことは何やかんやと言うもんだ。

それはお互い様てことで、どうぞネタにでもしてくれ。無関心でも結構。

もう何とでも思ってくれという気分でいる。

どうせ外野の意見なのだから翻弄されるのがバカらしい。

自分だって誰かの話をしてる時は面白半分なのだから。

 

大義名分なくともその時にふと思ったことをやれることが幸せかもな。

今一番やりたい事はふきのとう味噌をツマミに日本酒飲んでポーっとする事か。

 

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この度長らく放置してたInstagramを自分の顔面のみ載せる完全自己満足のアカウントにしてみた。

teddy_rinoでやってます。

これもふと思ったことで。

じゃ、また。

あとどれくらい諦めれば良いのか?の話

小学校低学年から水泳をやっていた。

他にも習字・エレクトーンなどいくつか習い事をしていたがどれも長続きしなかった。

水泳だけは何故か辞めずにいた。

特に自由形になってからは格段に楽しく感じた。

各地域の小学生が集まる大会に出場して悉く負けても水泳は嫌いにならなかった。

ただ泳ぐのが好きだったんだろうなと思う。

通ってたスポーツクラブの子たちとも年齢差関係なく和気あいあいとしていて楽しんでいた。

体育の授業もサッカーとか徒競走とかは本気でどうでもいいけどプールの時間は大好きだった。

夏休みもプールとその後に駄菓子屋に寄って帰りに飲むラムネとかコーラが何より楽しみだった。

 

中学に入っても水泳部に入ろうと思ったが自分達の代が入学する頃に廃部になった。

なんでも秋冬は筋トレや室内での座学が主になり生徒の怠慢に繋がるため。との事で要はプールで泳がないなら水泳じゃないだろうという短絡的な結論で廃部となったと聞いた。

実態としては半グレ連中がサボりついでに入部していた為に部室が溜まり場となり風紀的によろしくないとの事だった。

他にも怠慢に繋がる部活動として中途半端なグレ集団の溜まり場になっていた卓球部も同時に廃部になった。

教師の管理能力の無さがそうさせたと勝手に思っている。

 

はなから水泳部に入ると決め込んでいた自分は選択肢がもうなくなった気がした。 

だいぶ前から学区に限らず部活動優先で通学先を決められるようになったり部活動とみなされる習い事は許されるように校則もかなり改善されたようだが、その当時はそんな気の利いた制度はなく誰も彼もが否が応でも入るのが原則だった。

唯一、許されているのが小学校時代に習っていた事で、ある程度の成績を残せていればボランティア部に所属して習い事を継続する方法だったが、いかんせん大会では悉く負けていたものでスポーツクラブは程なくして辞める事になった。

 

悩んだ挙句に入った部活がバスケ部だった。

同級生に誘われたからというだいぶ不純すぎる動機で。

 

部活動が始まると、よくありがちなたった一年しか違わない年の差で先輩後輩と分けられて謎に敬語も使わされ謎に雑用とかしながら「敬うって一体何なんだろうか?」と中学生ながらに思っていた。

まずそういう訳の分からない上下関係も嫌だったしバスケットに関しては大して好きでもないスポーツだったし、とにかく基礎練から試合まで何から何まで嫌だった上に思春期特有の友人関係の揉め事などもあり、やり甲斐も感じないまま最終的には2年生頃には部活は出来る限りサボるのが常になっていた。

余計な刷り込みが多くなされるのが中学時代だと思う。

今思えば中学時代の誰一人として敬うべき人なんていないしな。

 

好きな水泳を辞めた瞬間、なんだか物凄く諦めてしまった罪悪感というか、好きなものを引っ込めてしまった嫌な気分になった。

何か人に誇れるような実績や成果がないと続ける資格がないのかと疑問に思う反面、才能がないのかもしれないと好きなことを疑い諦めた自分の弱さがひどく恥ずかしかった。

 

そこからはもう水泳が好きなことは置いておいて、ファッションやら何やらとアイデンティティ確立に勤しむ訳だがどこか気持ちの収まらない感じがしていた。

好きなことを捨てると途端に毎日面白みが無くなるし、何かを見失った感覚になる。

その捨てた隙間に代替え品を詰める訳だけど、形がそもそも違うからシックリ来ない。

「あとどれくらいこうやって色んなことを諦めればいいのか?」とふと考えた時があった。

 

そうやって色々と好きなことが無駄なことように切り離されて、力のやり場がなくなってグレて行くのかも知れないなぁと考えてみたり。

 

先輩がどうとか友達がどうとかに巻き込まれるよりも、あの頃はただ泳ぎたかった。

 

この「ただやりたかった」というのがどれだけ純粋で貴重な欲か。

 

泳ぐことと同じように歌うことも好きだったしバンドも好きだった。

だから、やりたかった。

 

大人になったらなったでまた結果が伴わないものが無価値のように扱われがちだが、そんなことはもうどうでもいいと思っている。

周りがあーだこうだ言おうもんなら、「うるせぇ、黙れ。」で終わること。

 

自分のやりたいようにやる事の妨げになるのなら容赦無く切り捨てたりまた遠ざけたり、それからやりたいようにやれるように交渉したりと方々を整える判断ができるので、その点は大人になってよかったなと思う。

 

社会形成されていく段階で好きだったことが、ただ単に青春時代だからとか若いからとかで片付けられるような安いもんではなく最高に価値があるという事に気がついてからは誰に何を言われようと手離さないと決めている。

 

 

というわけで、市民プールに年2回ペースで行ってたけど、もっと泳ぎたくなったので今年は頻度を増やすつもりだ。

定期的に通ったら心肺機能が多少上がる気がするし。何より楽しいし。

子どもの頃と大きく違うのはプール上がりの一杯が駄菓子屋のラムネではなく居酒屋の生ビールに変わったところだろうか。

 

じゃ、また。

耳栓の話

バンド始めた頃は耳栓の重要性は大して感じてなかったが、スタジオリハとかライブハウスでの爆音にめちゃくちゃ翻弄されていた事に気が付いた。

リハでPAさんに自分の声を上げてもらうんだけど、なぜが本番では楽器とかシーケンスの音が大きくなっていて自分の声が聞き取れなかったり、本番中に耳栓無しで対バンを見学したりするとその日のイベントが終わる事にはドッ疲れてる自分がいた。

暫くして左耳がどうも聞こえにくく感じてきて日常生活でも少し難が出てきた。

これ以上悪くなってはいけないとライブ中、いつもなら物販付近で聞いているのだがそれも結構しんどくなり怠慢だと思われるだろうし大変失礼な事だが他のバンドが出演している時は音が聞こえない所に退避したりしていた。

それでも、なかなか治らなかったので耳鼻科の世話になった。

医者には「頻度が低くてもバンドやっていて定期的に大きな音に晒されるなら、耳のダメージは蓄積されて難聴になりやすくなるよ」と言われたもんで本格的に耳栓を使う事にした。

 

色々ググると出てくるよな。

騒音性難聴。

 

騒音性難聴になったら理解しておきたい症状の特徴と改善方法 : 2つの視点を持つ人が書いている耳・補聴器ブログ

 

難聴マジヤバイ。「自分だけは大丈夫」なんてことはない。傾向と対策。 - BASEMENT-TIMES

 

というわけで、良さげな耳栓買う事にした。

 

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これ。

CRESCENDO 耳栓 ボーカル用 イヤープロテクター Vocals

Professional Music | 製品紹介 | Crescendo

 

一応Vocal用を購入して使っている。

他と比べた事ないので分かんないけど音楽聞く用でも別に良いのかもな。

 

使用感は他の楽器の音を良い具合にレベルを下げて聞こえるので、やりやすいし疲れにくいし耳鳴りがなくなったので左耳も、すこぶる調子がいい。

というか耳栓無しより聞き取りやすいかも知れん。

自分の声もちゃんと聞こえる。

 

安い300円くらいのオレンジの耳栓を使ってた時はなんとも言えないモーンとしたこもった音になるから不便だった。

 

去年だかに新宿クラブサイエンスに出た時に「サンダープラグス」のがバーカウンターの横らへんでガチャポン形式で耳栓売ってたから予備として買っておけば良かったなー。

今度、楽器屋で買うか。

 

ライブハウスで耳栓販売!? 異色のキャンペーンを仕掛けた男の狙い | ハーバービジネスオンライン

 

amazonでポチりますかね。

Safe Ears 音楽用イヤープロテクター THUNDERPLUGS (サンダープラグス) ブリスター

そうそうこのチンパンジーが可愛いね。

 

CRESCENDO 耳栓 ライブ用 イヤープロテクター Music

こっちはクレッシェンドのライブ用。

 

爆音をそのままダイレクトに感じたい人は必要ないかも知れないけど、自分は後のダメージとか考えるから買った。

ライブハウスは爆音が一つの醍醐味な事もあるし。

それでも気持ち良い音具合でライブやれるように色々と工夫してくよ。

 

じゃ、また。

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自他の境界線を曖昧にしないことの話

過去、自分は他人に心を開き過ぎたり、コミュニケーションに労力を注ぎ過ぎて空回りして疲れるという事が沢山あった。

 

特にSNSが盛んな今、毎日毎分毎秒誰かと交流しているのが当たり前な節があるが、それが得意で楽しくて有意義に過ごせる事なら大いにやればよい話。自分は返信するのに脊髄反射的に咄嗟に出来る方ではない。苦手だ。

というか厳密に言えば嫌いになった。

1ミリたりともSNSで交流したいと思っていないので返すか返さないかは気まぐれである。

顔を見て話しているならまだしも文字でのやりとりでは通じない部分は大いにあるしリアルで顔を合わせた際のギャップに違和感を感じて何だかモヤつく。

そんなことを考えてると途端に返信が面倒になる。

 

話が逸れたが先にあげた通り

・他人に心を開き過ぎる

・コミュニケーションに労力を注ぎ過ぎている

・他人に無防備になり過ぎている

・周囲円滑を気にし過ぎている

など周りの人に気を回しすぎて疲弊するという事がよくあり、他人との衝突を過度に恐れて、人の顔色を伺い、周囲の空気をひどく気にするので家に帰る頃にはグッタリして神経を消耗している。なんて事がザラにあった。

そんな事がもう何年も重なり、それまではフットワーク軽く色々なところに顔を出しては新しい発見や出会いを楽しんでいるつもりでいたはずなのに、そもそもその行動自体に無理があったようで、ある日突然エネルギー切れになった。

 

人のエネルギーは枯渇するという事実にだいぶショックを受けて腑抜けた人間に成り下がったと憂う日が何日も続いた。

こうなったからにはバイタリティ溢れるような事、能動的に動く事はもちろん周囲の気遣いや空気を読むなんて事は当然の如く無理に等しくなり、止むを得ず人との交流をしばらく休む事にした。

 

最低限の連絡と最低限の会話が精一杯だったので大変申し訳なく感じたが、こちらの事情など知ってるはずもない周囲の人達とは何となく上手い具合に流れるようにスムーズに特段問題なく物事が動いてるのを見て

「今まで自分がやってきた事はただの取り越し苦労だったのだなぁ」と気が抜けてしまうぐらいだった。

 

勝手に自他の境界線を曖昧にし

勝手に人の顔色を伺い

勝手に空気を読んで

勝手にコミュニケーションに力を入れ

勝手に周囲が円滑に進むことに奔走した

 

という感じでこれを取り越し苦労と言わずに何というのか。

一人で勝手に仮説立ててそれに基づいての行動は、大きく的が外れていた。

書いてて本当アホくさいなぁと思う。

 

ここまで気づくまでに、少しずつ自分の中でやり方を変えてきた。

思い切った事からたわいもない事まで。

例えば

・他人との交流を断つ、控える。

・付き合う人を選別する。

・揉めようが何しようが何でも言う。

・自分一人だけの時間を多く作る。

・相手の事を考えずにモノを言う。

・誤解をされても仕方ないと思う。

 

これらの他にも沢山試して、少しずつ枯渇したエネルギーを取り戻していったような感覚だ。

全て完璧にやりこなさずとも心がけてやることで自他の境界線がハッキリと線引きされたような感じであり、良い具合の間合いが出来た。

過去の自分が見たら、きっと壁が分厚すぎる・距離が遠すぎると思うくらいに。

今のところ、これくらいが心地良く丁度良いと思っている。

 

そんなことを試してきた数年後の今。

過去の自分とは全く真逆で

空気なんか一切読まず

人の気持ちも先回りして読まず

好き勝手して全然ちゃんとしない無礼者といったところだろうか。

というか元々こっちが本性だったんじゃね?

 

自他の境界線を曖昧にして余計に引き受ける事がなくなった分、余裕が出来て過去に必死に動いていた時より格段に身も心も軽くなった。

 

気持ちの面で弱った時は自分自身を休めたり甘やかしたりするサインだと思っている。

他人ばかり見ていないで他人の話ばかり聞いてないで、自分の話をとことん聞いてやるチャンスだと思う。

 

ここで我慢に我慢を重ねてしまうと人格に難ありなやつに成り下がって歪みを直すのに大変時間が掛かるので弱ったら他人は放って置いて休む頼る甘えるは徹底した方がいい。

また元気になった時にその場その時にいる人達と関わっていけばいい事なんだから。

 

人のこと気にしすぎる人へ。

適当に自分に優しくいきましょう。

 

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ヒントは相当地味な所にある話

それっぽい事言う人・それっぽい格好の人の話に肩透かしを食らい、意外と地味な格好だったり目立たないところで聞く話から意外な利を得る事が多くある。

声がデカイ、風体がデカイ、煌びやか、派手、完璧、強い、権威があるなど一見それっぽく見えるものは、中身を開ければ大したものでない場合が多く、自称・その界隈知ってます系の人の話は全くもって的が外れていることばかりで、もう何がどうなのかは自分で確かめるしかないのだと途方に暮れながら思った。

しかしその逆、小さい・地味・弱いに当てはまるような場所に行ったり、そんな人の話に耳を傾けてみると自分の頭の中では出せないような視点に意表突かれたり、新しい解釈ができたり、目から鱗的な体験が出来た。それと同時に自身の人の見る目がない事と今迄なぜ気づかなかったのか。凄まじく勿体無いことをしてきたかも知れないなと少し落ち込むのだが解釈が覆る事、発見する事の快感は計り知れない。

普段のペースなら単に通り過ぎていただけであろう事や場所や人に教えられることがこれ程までに多いとは。 

盲点に相当に質の良いヒントがあり目立たずひっそりと佇んでいる。