自分は最初はバンドやろうとしたのは、この先行動しないで後悔したくない思いもあったけど、本当の本当は自分の中だけの小さな自己顕示欲だったかも知れないなと振り返る。
昔から目立ちたがり屋なくせに恥ずかしがり屋という矛盾を抱えていた。
人前で何かしたいが芸がない。
発表するものがない。
目立つものがない。
才能がない。
普通からはみ出たら即死!くらいに思ってたからね。
そんな風にくすぶってた気持ちはいつか捻れまくり妬みに変わっていくわな。
捻れまくりだった10代は手っ取り早く外見変えちゃえば目立ててたけど、それも20代とか大人になると中身が伴わないとタダの痛い人じゃん。
突き抜けられれば別だけど。
見た目変えても何か埋もれてる足りない感覚だったよね。
前にも書いたが全く目立とうとしなかった時期はとにかく人の批評に明け暮れていた。
お笑い見れば、ツッコミがダメだとかボケが普通すぎるだの何だのと。
歌手を見ればあのパフォーマンスはダメだとか、よくこれでTV出られるねとか。
飯食えば、ここのサラダのドレッシング最悪だったとかね。
お前何様?って嫌な奴だったね。
ま、未だにやるけど。
そんなことばかり言ってたもんだからいざ自分がやるとなると批判は絶対にあると無駄に怯えていたこともある。
でも、ジャッジする側よりされる側の方が圧倒的にクリエイティブで楽しい。
今も批判はムカつくし7代先まで呪ってやろうか?という気持ちに一瞬もなるけど例え何を言われてたとて、それをも凌駕するくらい圧倒的に楽しい。
と言うのも、最初はただ目立ちたいだけで小さな自己顕示欲を満たしたかったことが
いつしか「みんなでやることが楽しい」に変わっていったからだ。
本気になって真剣に何かを誰かと作ることって、いつぶりだろうか。
高校の文化祭でクレープ屋やった時に個性の爆弾みたいな奴等の集まりだったクラスが、その日その時だけ盛り上がるために一丸となった時かな。
いつも揉め事が絶えないクラスだったが、とにかくその時は各々の得意を発揮できたように思えるな。
絵が好きな奴は黒板に店の看板書いたり
計算が得意な奴は金勘定したり
話すのが面白い奴は客引きして
料理が好きな奴はひたすらクレープ焼いたり、具切ったりとかさ。
とにかく、人が適所でそれぞれが能力を発揮できるっていい事だなぁと思ったね。
バンドも文化祭とは規模が違うけど、各々が得意で好きな事が思い切り発揮できるのが良いところだよね。
そんなんで歌は好きだったし辛うじて運良く定期的にステージに立てているわけだけど、それもただ目立ちたいからかも知れないけれども、好きを思い切り出せる事は幸せな事だね。
でも、楽しくないと思う時期があったのも確か。
それは
・ちゃんとしないと
・もっとこうしないと
・もっと人のためにどうにかしないと
と、他人目線になり過ぎると途端につまらなくなったね。
リハの帰り道、なんか自分が居た堪れなくなって、もうじゃあお客さんの望む事すればあっと言う間に上手く行くんじゃないの?みたいな事ボヤいたらハヤトが
「全然ROCKじゃないねぇ!」と爆笑してましたわ。
たまには人の声は必要かも知れないけどね。
だって自分が突然ステージで全裸になりたい気持ちになったからと言って素っ裸で暴れ出したらある意味伝説になれそうだけどやっぱズレてるし。
どう行動する点に於いても、他人ばかりを優先しないで自分を仲間に入れてやった方が楽しいよなぁと今更ながら体感してる。
話逸れたけど。
最初はタダの自己顕示欲を拗らせていた事かも知れないけど、自分は結局誰かと何かしてるのが好きなんだよな基本。
それから、
なんでそれしたかったの?
なんでそれが良かったの?
あんまり理由が無く、だって好きだからとしか言いようがない事の方が長く続いてたりする。
あんま詳しく話せないけど
つい最近有った事から気づいた。
結局、尤もらしい理由をつけたところから綻びるというね。
社会的に見ればマトモで立派なことだろうと自分の本音ではない事は簡単に崩れてしまうのな。
マトモになろうと頑張ってもなかなかそうは問屋が卸さない感半端じゃなくなる。
要は綺麗事に対して世間は容赦なく身包み剥がしに掛かるって事だ。
よく分からないけど、これが好き。
よく分からないけど、これがしたかった。
よく分からないけど、気になる。
例え誰かに「なんだこんなもん」と言われてもね。
やる価値有るんじゃないかなぁ。
自分は世間的に見ると全然自立してないし、ちゃんとしてないんだけど
ちゃんとしなきゃと繕うよりやる事あるんじゃねーかなーとか最近思うね。
え?今日ポエマーじゃね?
雑記帳だからまぁいいか。
そうそう先日、近場ですが紅葉狩りしてきた!見事じゃ。
写真いいよねー。特に風景写真。
じゃ!また!