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RINOの何でも帳

MECHANICAL TEDDY RINOの雑記的な日記

「普通は」「常識的に」「一般的」というのは明らかに「自分の中では」話

「普通は」

「一般的には」

「常識的には」

「社会的な」

というのは明らかにその人の中だけの常識なんだなということを最近思う。

自分の意見をあたかも総意のように発言してしまうのは、私はこうだ。と言えない人の隠れ蓑なんじゃないかと思う。

似たような考えに共感する事は有っても100%正しい一般論というのはこの世には無いと思ってる。

この意見が多数派くらいの感覚でいたほうが気が楽だ。

それにアイメッセージっていうのは、なかなか言い出しにくいものだからしょうがないと思っている。

一般的という事を隠れ蓑にして発言した方が幾分か自分の体裁も保てるし、意見が浸透しやすくなるのもよく解る。

なので「一般的には」「普通は」「常識的には」という言葉が飛び交う時は

「相手の中で長年培ってきた常識なんだな」と自分の頭の中で変換する事にしている。

 

過去に有った些細なこと。

ゆで卵は塩で食べるのか、醤油で食べるのか。

こういった他愛もない事ですら一般論を持ち出す人がいる。

何気なく醤油を小皿に垂らした事から始まる。

 

「普通」は「塩」だよね。

 

自分は生まれてから今までゆで卵は醤油で食べる派なので、

こちとら「普通」は「醤油」なのだ。

 

ゆで卵での話ならまだ何気ない事と流せるが、他にも大小に関わらずあらゆる形で「普通」の魔の手が忍び寄ってくるのである。

そこで何も考えないままに、相手の意のままに翻弄されていればいつしか自分が一体何者なのか何がしたのか解らなくなってしまうし、実際一般的な意見を取り入れて自分の意に反した結果になれば「あなたがこういったから私はやったのに!」と容易く人のせいにしてしまう事もある。

こんな事で人生を無駄に消費している場合ではないと思う。

 

「普通は」「常識的に」「一般的」

そういった言い草は一時は強く出れるかもしれないが、いざ自分を表現する時、自分で何かを決断する時に今まで散々周りを縛っていた自分の常識が廻り回って自分自身の足枷になってしまう事があるので気をつけたい。

 

知人はゆで卵にはケチャップ派と話していた。

それは無いわー。と今述べた事と矛盾した心を持っている自分もいるではないか!

言うか言わないかは別として。

 

自分含め、常識という名の偏見は誰でも持っている。

それでも、どこの誰かから仕込まれた一般常識よりも、とにかく自分の好きにやってみる事を意識していきたい。

じゃ、また。