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RINOの何でも帳

MECHANICAL TEDDY RINOの雑記的な日記

謙虚の度が過ぎて嫌味な話

謙虚さと自己卑下を履き違えていたなと気づいた。

 

「もう歳だから終わっている。と自分の事を言っているという事は、もう歳で活躍している人に対しても同じ事を思うのと何ら変わりない。

そうじゃないと辻褄が合わない。

あなた自身だけに当てはまるのはおかしい。

自分を卑下する事と目の前の人を小馬鹿にしているのと、やっている事は変わらない。」

なんて言葉が頭に浮かんだ。

 

そういう事を他人にはしないくせに、自分に対しては容易くやっている事が多くある。

もう年だからという相手に

「そうですね、年だから終わってますね。」

と言ったら、きっと怒るだろう。

自分もそうやって卑下してしまうクセが出た後でdisりなコメントを見ると、ナメとんのかと憤怒するのが普通の反応だしな。

もちろん良いコメントにはよだれ垂らしながら狂喜乱舞する一喜一憂の振り幅が半端じゃない自分だ。

 

で、そういう時に心の底で起こっている事は

「ちょっと自分イケてるんじゃ??」という薄ぼんやりとした期待を相手に汲み取ってほしいわけだ。

確信が欲しいというか。

でも、そういう状態の時は絶対に相手の誉め言葉は受け取らないようになっている。

「あなた、すごいよ」と褒められると、

「そんな事ないよ、自分なんか・・」

と自分が如何にダメかの理由を発し続けるので意味がないのである。

自信ないのか本当はあるんかどっちじゃい!という状態。

長らく自分もやっておりましたなぁ。と遠い目をしてしまうんだが。

これ、励ましてくれる人に対してだいぶ無礼な行為だったなと。

もう度が過ぎるとただの嫌味なのだ。

きっと気持ちのどこかに遠慮があったのだろうなと思う。

それに「自分なんてまだまだです」って言っておいた方が謙虚っぽくていいという打算も含まれていたのだろうな。

そういう考えでいると、いつしか自分だけでなく自分の周りの人やモノもなぜか卑下したくなるもんだ。

これが全くもって傍迷惑な話で、周りはいいと思ってるのにその人自身は悪いと思っているので一向に物事が発展していかない場合がある。

これはまずいと思ったね。

自分を認めることはもう義務なのだなと思った。

自分自身を客観的に正しく見るというのは難しいものだ。

 

しばらくして、自分自身を少しづつ取り戻して感じるのは結構褒められてるじゃん自分って事。

立ち直る時に、あんないい事言われたな。ということを思い出せるだけ思い出すと結構満たされた気持ちになる。

あの時は受け入れられなかったけど、今なら受け入れられるという事がある。

 

そういった状態の人は最初の数回は付き合っても良いが、もうあんまり度がすぎるようであれば放っておいたほうが賢明な判断かなと思う。

そう自分が思ってるんなら致し方ない。

もう、悲しいかな。

これだけは自分で気づくしかないという事になる。

ここは一つ心を鬼にして、断腸の思いで放っておくしかない。

信頼して待つ他ないのだよな。

いつか気が付いてくれよ。と思う事にした。

 

といっても、なんやかんや人間って根本的に自分の事は本当の意味では嫌いになれないもんだと思うので、どうせなら隠さずそのままいこうぜ。

じゃ、また。