RINOの何でも帳

MECHANICAL TEDDY RINOの雑記的な日記

自由が似合ってる人は自由にやればいい話

先日、学生時代の男友達と飲みに行った。

頭が痛い。色んな意味で。

まずさ、あまりの変わりように驚いたよね。

顔色悪いし、痩せてるし、目も陥ち窪んじゃってさ。

彼は学生時代ギラついていて恰好は変だったけど目立ってて、話が面白くてギターが好きでいつもフットワークが軽くてアクティブで最高だったのに。

人の悩み相談なんかの類は一番嫌いな話題なのに、さすがにここまでコテンパンな相手を見るとな。

ちょっとは話聞くよ。っていう流れになるわな。

 

離婚するとかしないとか。

てか、この手の話を昨年から自分の周りで何人も聞いていて時代も変わったもんだと思ったわけ。

良し悪しは別としてスタンダードは常に変わっていくものなんだな。

 

とりあえず、どうしたマジで。

あのなんだか知らないけどギラギラしていてユーモアに富んだ雰囲気は一体どこへ行った?

何でも笑い話してたのに。

今回の話は一つも面白くなかった。

 

片思いしてたあの子に、何年もかけてコツコツ撮り貯めてたオリジナル曲のMDを貸してほんの数時間で無くされた時だって、バンドやってた頃に急遽サポートで呼んだ同級生が実は8ビートすらロクに叩けなかったポンコツ妄想癖な事が発覚してライブ飛ばした時だって、どんなに辛い事があったって、それでも笑い話にしてたじゃないか!

 

頑張って立派に公務員になったじゃないか。

子供だって賢く育ってさ。

フルオーダーで家も建てたじゃないか。

 

努力してきたのかもしれないけどさ。

らしく生きていないならどんな決断でも受け入れるから、頼むから!あの面白かった頃のアンタを取り戻してくれと。

 

大体にして自分と相手がお互いに自由な感覚でいられないなら、その関係はおかしいんだから。

嫁の尻に敷かれててさ・・へへへ。っていう弱い旦那をやっていたいならそうすればいいけど干からびたままでいるのはちょっと違うんじゃないか?

 

ここ最近、自分の周りとその先を見てると社会的な目線に縛られて、本来その人の持つ自由さや軽やかさが失われたように感じる。

それに無責任に世間的にはどうという目線で物事を語る人間が心底嫌いだと改めて思ったね。

そういう話題が誰かを追い詰めている場合がある。

別にどの枠に収まらなきゃいけないって事もないんだからもういいじゃねーか。

好きにやらせろ。

今、好きにやってんだからいいだろ別に。

なんか迷惑かけてんのか?

うるせーんだよ。

と、イラついてしまう器がおちょこサイズの自分がいる。

 

たとえどんな立場だって何だって好きな事を好きなだけやればいいんだよ。

賭けるものがあるなら、それに賭けていればいいんだから。

 

自由が似合ってる人は自由にやればいいんだ。