RINOの何でも帳

雑記的な日記

自他の境界線を曖昧にしないことの話

過去、自分は他人に心を開き過ぎたり、コミュニケーションに労力を注ぎ過ぎて空回りして疲れるという事が沢山あった。

 

特にSNSが盛んな今、毎日毎分毎秒誰かと交流しているのが当たり前な節があるが、それが得意で楽しくて有意義に過ごせる事なら大いにやればよい話。自分は返信するのに脊髄反射的に咄嗟に出来る方ではない。苦手だ。

というか厳密に言えば嫌いになった。

1ミリたりともSNSで交流したいと思っていないので返すか返さないかは気まぐれである。

顔を見て話しているならまだしも文字でのやりとりでは通じない部分は大いにあるしリアルで顔を合わせた際のギャップに違和感を感じて何だかモヤつく。

そんなことを考えてると途端に返信が面倒になる。

 

話が逸れたが先にあげた通り

・他人に心を開き過ぎる

・コミュニケーションに労力を注ぎ過ぎている

・他人に無防備になり過ぎている

・周囲円滑を気にし過ぎている

など周りの人に気を回しすぎて疲弊するという事がよくあり、他人との衝突を過度に恐れて、人の顔色を伺い、周囲の空気をひどく気にするので家に帰る頃にはグッタリして神経を消耗している。なんて事がザラにあった。

そんな事がもう何年も重なり、それまではフットワーク軽く色々なところに顔を出しては新しい発見や出会いを楽しんでいるつもりでいたはずなのに、そもそもその行動自体に無理があったようで、ある日突然エネルギー切れになった。

 

人のエネルギーは枯渇するという事実にだいぶショックを受けて腑抜けた人間に成り下がったと憂う日が何日も続いた。

こうなったからにはバイタリティ溢れるような事、能動的に動く事はもちろん周囲の気遣いや空気を読むなんて事は当然の如く無理に等しくなり、止むを得ず人との交流をしばらく休む事にした。

 

最低限の連絡と最低限の会話が精一杯だったので大変申し訳なく感じたが、こちらの事情など知ってるはずもない周囲の人達とは何となく上手い具合に流れるようにスムーズに特段問題なく物事が動いてるのを見て

「今まで自分がやってきた事はただの取り越し苦労だったのだなぁ」と気が抜けてしまうぐらいだった。

 

勝手に自他の境界線を曖昧にし

勝手に人の顔色を伺い

勝手に空気を読んで

勝手にコミュニケーションに力を入れ

勝手に周囲が円滑に進むことに奔走した

 

という感じでこれを取り越し苦労と言わずに何というのか。

一人で勝手に仮説立ててそれに基づいての行動は、大きく的が外れていた。

書いてて本当アホくさいなぁと思う。

 

ここまで気づくまでに、少しずつ自分の中でやり方を変えてきた。

思い切った事からたわいもない事まで。

例えば

・他人との交流を断つ、控える。

・付き合う人を選別する。

・揉めようが何しようが何でも言う。

・自分一人だけの時間を多く作る。

・相手の事を考えずにモノを言う。

・誤解をされても仕方ないと思う。

 

これらの他にも沢山試して、少しずつ枯渇したエネルギーを取り戻していったような感覚だ。

全て完璧にやりこなさずとも心がけてやることで自他の境界線がハッキリと線引きされたような感じであり、良い具合の間合いが出来た。

過去の自分が見たら、きっと壁が分厚すぎる・距離が遠すぎると思うくらいに。

今のところ、これくらいが心地良く丁度良いと思っている。

 

そんなことを試してきた数年後の今。

過去の自分とは全く真逆で

空気なんか一切読まず

人の気持ちも先回りして読まず

好き勝手して全然ちゃんとしない無礼者といったところだろうか。

というか元々こっちが本性だったんじゃね?

 

自他の境界線を曖昧にして余計に引き受ける事がなくなった分、余裕が出来て過去に必死に動いていた時より格段に身も心も軽くなった。

 

気持ちの面で弱った時は自分自身を休めたり甘やかしたりするサインだと思っている。

他人ばかり見ていないで他人の話ばかり聞いてないで、自分の話をとことん聞いてやるチャンスだと思う。

 

ここで我慢に我慢を重ねてしまうと人格に難ありなやつに成り下がって歪みを直すのに大変時間が掛かるので弱ったら他人は放って置いて休む頼る甘えるは徹底した方がいい。

また元気になった時にその場その時にいる人達と関わっていけばいい事なんだから。

 

人のこと気にしすぎる人へ。

適当に自分に優しくいきましょう。

 

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