RINOの何でも帳

雑記的な日記

不幸自慢は優越感に浸りたい人がする行為です。

自分がいかに大変か、いかに苦労しているか。

人間生きていれば様々な事が起きるので、たまには愚痴の一つや二つ言いたくなるものです。

しかし常日頃から自分が恵まれない環境にいる、自分が弱い立場である、自分が不幸であることを嘆いている人というのは自分が不幸である事で優位に立とうとしている場合があります。

自分の不幸さを武器にして注目させ、周囲の人間を心配させ相手を支配しているのです。

汚い言葉で表現するなら「甘ったれたクソガキ」と言ったところでしょうか。

聞いている方も初めは「なんて可哀想な環境なんだ、なんでも出来る事があったら協力するよ」という姿勢を見せますが、こういうタイプは現実的・具体的な解決策などは望んでいません。

ただ、自分はいかに不幸かという事を見せつけたいだけです。

自分の不幸なドラマを一緒に鑑賞して欲しいだけなんです。

なので、せっかく協力したい人が出てきても次第に付き合うだけ時間の無駄だという事を悟られて離れていきます。

しかも、そのようなタイプの人には次々に不幸な事が降りかかります。

でもそれは本当に不幸が襲ってくるのではなく目的があるからです。

”自分が不幸になることによって、周りが自分を大切に扱ってくれる”という目的です。

この一文だけ見ると、私はとても冷たい人間のように思われるでしょう。

どう思われてもいいのですが、確実に言えるのが何百回とこういった人と接する機会があり、じっくりと観察した結果こういった結論に至りました。

 

不幸を使って人をコントロールするメリット充分に感じているから繰り返すわけです。

 

泣き言を一切言わずに頑張り続けろなんてスパルタなことは強要しません。

しかし、周りから優しい言葉をかけてもらったり具体的な解決策をもらったのなら、立ち上がれるはずなんです。

休んでもいいから。ゆっくりでもいい。

立ち上がるのは自分にしかできない事です。

いつまでも不幸自慢ばかりしていたのでは自分自身も状況も変わりません。

自分が変わろうと思えば、いつだって変われるんです。

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