RINOの何でも帳

頭の中をアウトプットする雑記帳。

若さからの解放

これ自分の痩せ我慢かなと思ってずっと黙っていた事なんですが若いという年齢を超えて率直に思ったのが「やったぁ!若さからの解放!」みたいな気分にまずなったんですね。


若いと呼ばれる年齢を過ぎるまでは年齢なんて気にしないと突っ張ってた方ですが心の片隅では「私このまま年取ってどーなっちゃうの。怖いな。」と感じていました。でも年齢を重ねることで若さの鎖から解放される事がこんなに気持ちのいいものだったなんてと驚きました。
実際に誕生日を過ぎてみると、これで図々しくできるぞ、これで弱々しいフリなんかしなくてもいいぞ、これで分からないフリも分かってるフリもしなくていいぞ、これで猫被らなくていいぞ、これで誰にも見向きされないから好き勝手出来るぞー!ヒャッハー!みたいな感じでした。


私は若い時、自由なようで結構そうでもないなと思っていて社会人になると何だか控えめで奥ゆかしくしておかないといけないみたいな考えで自分を縛っていたのでとても窮屈でした。
他人が要求する自分を演じているような感じでしたね。
それに自分の内面まで興味を持ってくれる人があまりいなかったし自分も出しちゃいけないと思っているから中身まで到達しないままに終わった人間関係も沢山有ります。
どこかでいつも、私の面白い話やギャグも聞いてくれという欲求不満が常にありました。
私は学生時代から友達といる時はずっとふざけっ放しでした。ふざけた人間で生きて来たもんで、その世界でしか生きてなかったからふざけ続けることが何処でも通用するものだと思って生きてきたんです。世間知らずで無知って怖いですよね。
社会人になって大人ってあんまりふざけないんだとガッカリしたものです。
それから会社の飲み会で普段真面目な人がフザけ出すと素面の時はやらないくせにと斜に構えて冷めて見てたり負けじと過剰にふざけたりしていたんですが、「女性がそんな事したらいけないよ」なんて諌められたりで面白くないんですよね。
何となく面白くする自分は求められていないんだなと感じたんですね。
その飲み会では黙ってお酌してればいいぞという感じだったし、普段の時は大人しくなんか女性らしくしおらしくやっていればいいからみたいな役割を押し付けられたように思いました。


それから何処いってもなんか自分の戯ける部分というのは否定されているような気がしていました。とっても寂しかったですね。
そんなに面白おかしく戯けたいんだったら吉本の芸人養成所にでも行けよって感じなんですけど、それは違うんです。私は近くにいる人と面白さを共有したい欲があるだけなんです。それに人それぞれ面白さを感じる部分は違うので自分と面白いと思う箇所が合う人とずっとふざけ続けたい欲が人より少し多いのかもしれません。
社会からは受け入れられるとは思えずに隠していた面白い事話したい欲は偶に学生時代の友達と会う時にだけ引っ張り出して話しまくる事で解消していました。そんな自分を俯瞰で見た時に余計にギャップを感じて仕事やら日常やらにに戻った時にもっと寂しくなっていたんですね。
でも、それがどうですか!
若いことを注目されなくなった今、というか年齢を重ね羞恥心が無くなっていくと徐々にふざけたい欲が解放されていく訳です。それは受け入れられない怖れを感じることが減った言えます。誰かが止めても私はふざけるぞという謎の覚悟がスコンッと出来たんですね。
それから、いつも通り自分の会話を面白く聞いてくれる友人とまだ遊べてる事が今度は逆に自信になったように思います。

受け入れられない人とは上辺だけの会話で充分。私にはちゃんと中身を見てくれる人達が居たという安心感が出来てかなり今面白いと感じられる時間が増えています。


確かに見た目は若い方がいいでしょう。若い頃に比べたら肌も土台から緩むしシミも増えるし出来るだけ抗いますけどそれはもうしょうがない。
だって見た目だけが私じゃないもの。
この考えがただの痩せ我慢かと思われても良いし、もっと若い頃から自分らしさを大事に出来ていればなと思う事もあります。
でも今こうして生きやすくなりつつあるから、それでいいかなと思っています。