RINOの何でも帳

頭の中をアウトプットする雑記帳。

ネガティブに守られている場合もある

ネガティブな気持ちに襲われるたびに本当に嫌になるくらい揉まれまくりでグッタリとしてしまう事が多かったのですが、実はネガティブにも良い面というのはちゃんとあったんじゃないかなと思い返しています。
ネガティブがある事によって自分の疲労度や限界が知れるという事と間違った道に進んでいる事や無理して過ごしているというのを教えてくれているような気がしてなりません。
「あんたはもうちゃんとするとか無理なんだわ、もう自由にやれ。このまま続けると本当に死んでしまうよ。」みたいなサインなんじゃないかと思いました。
だからあまり嫌ったり葛藤したりするのも悪循環になり兼ねないなと。
ネガティブを越えた先はいつも「あの時、あのままでいなくて良かった」と思えるんですよね。私の場合ですがネガティブが発動する時はいつも自分の思いを無視した行動や言動になっている時です。ちゃんとするように見せかけた本意ではない振る舞いをした時に「本当はそんな事したくなかった、本当はこんな事言いたい訳じゃない」と自分らしさから逸れたらネガティブな気持ちになります。という事はいつだって自分らしくいて良いという合図なのではないかなと思います。
何かしらの事情で自分の事を後回しにする事はあるでしょう。でもそればかり続けていると心が消耗して当たり前ですよね。これ以上は無理が利かないよという時に思いっきり気持ちが下がっていました。
心がネガティブを使って「もうこれ以上このやり方は無理ですよ」とせっかく教えてもらっているのにそれでも頑張り続ける事で終いには心身に不調が出てしまうのです。
どうしてそこまで頑張り続けなければいけないと思っているんでしょう。
私の場合は誰かの期待に応えなければいけないというプレッシャーと自分が嫌な人間になりたくないというところが大まかな理由でした。

誰かの期待に応えなければいけない「誰か」と嫌われたくない「誰か」を場所が変わる毎に見つけては頑張り続けるという事をやっていて終わりの来ない頑張りを無駄に続けてネガティブな気持ちに落ちてというのを繰り返していました。

最近、何百回目かのネガティブに陥りいい加減こりごりしたので、もう誰の期待にも応えないし嫌われてもいいし責められても構わないし怒られようが呆れられようが関係ない。知らん。これ以上、自分を虐めたくないということにハッキリと決めた訳です。

決めた時に「もしかしてネガティブに守られていたのかな?」と思ったんですね。何度も繰り返し限界を知らせてくらていたんだなと今更になって気づいたんです。

なので今後はネガティブは自分の調子を計る一つのバロメーターとして見るようにします。

頑張りすぎ注意報として使っていこうと思います。