RINOの何でも帳

頭の中をアウトプットする雑記帳。

向上心というより探究心とか熱中したい欲の拗らせについて

少し前まで情熱の向けどころに困っているみたいな状態で拗れていたのですがようやく素直に認められるようになりました。
向ける場所を間違っていたのでしょう。

私は何かしら理由つけて諦めるのは違うと思っていて。それから、たかだか30代か40代くらいで「もう自分は歳だからさ」「これくらいで良いよね」「自分は大体全部知ってるぜ」みたいな事を言っている人に対してとても残念な気持ちになると同時に物凄くキレ倒したくなるのは自分はまだまだ隠居感とかは出したくはないな、もっとチャレンジというか楽しい事していきたいなという現れなのでしょう。向上心というよりも探究心とか熱中したい欲に近いかも知れません。

何度か挫かれ捻れまくっていたこの情熱というか探究心は今のところは自分自身に向かっていて今のところは一人でも出来るこのブログに歪ながらも注がれています。

今迄ならきっと心折れる事があればこういった動き出すためのエンジンになる大切な気持ちを無かった事にしていたでしょう。そして空回りで終わらせて所詮勝手に一人で熱くなっていただけだと胸の奥底にしまい込んで消化不良になりながら諦めながら流されていたでしょう。

でももう、その動き出しそうな気持ちを無理やり消してしまうのではなくて他へ向ける事にしました。

気持ちを向けるのは一つだけということでも無いですしね。

例えば集団で動いている場合、他人を無理やり奮い立たせることは出来ませんし1ミリでも同じ気持ちであれば共鳴する事は出来てもこっちがゼロから誰かの気持ちを作る事や価値観が様々な中で人の気持ちや状況はコントロールできません。

誰かの向上する意識を尊重する方が達成感や充実感はある一方で他の誰かが圧迫される事になるでしょう。またそれとは逆に緩くやれば誰かが物足りなさを感じたりと全員が満足する事はないでしょう。集団でやっていくという事はいつも表面張力ギリギリでやるようなものかも知れません。しかし何かを誰かと一緒に継続するにはゆっくりな方に歩幅を合わせていく他ないし、駆け上がることだけが全てでは無く逆に駆け上がる事で崩れてしまう場合もあるという事です。

それに切り捨てるのは簡単ですがそれまでに培ってきた事を壊す方が余程のリスクだというのは分かっていますし今後もゆっくりとやるしかない事と自分が求めているもっとやれるでしょうという気持ちのズレ受け入れる他ないという事を長らく悶絶してきましたが無理だという事に踏ん切りがつき有るカードでやるしかないという事も理解できたので肩肘張らずに役は持たずに、とことん適当に緩く、とことん好きに、とことん素で、とことん地で行く事にしました。

で、消化不良な情熱はどこへ行くのでしょうか。恐らくね、私みたいな人間は波乱万丈ドラマみたいなのが好きなんでしょうね。勝手にドラマを作り上げて乗り越えるみたいなクサイのが好きなのだと思います。要はただの暑苦しい奴なんですねー。しばらく情熱迷子なので更にブログに書き殴りつつボーッとする事を覚えます。