RINOの何でも帳

頭の中をアウトプットする雑記帳。

役割を外して「人として」見る

最近、男とは女とは子供とは大人とは社会人とは父と母とはこうである。というのが崩れてきて役割を降りて人としてどう生きるかというのがオープンになっている気がしています。

先日とある重鎮芸人さんが30年前には受けていたという同性愛者をキャラクター化した姿でテレビに出演したら抗議が来たという話やTwitterでも抱かれたくない芸人という枠は如何なものかという投稿に反響が沢山あったり、それから化粧品や百貨店の広告で女性が化粧やオシャレをするのは自分のためであり決して男性目線でやるものではないという事で炎上したりと、ここ数年世間から押し付けられた役割や社会的に見ておかしいと決め付けられてきた達の抑圧が一気に噴き出してきたように思うんです。

確かに生まれて意識のあるうちから既にもう「こうあるべきだ」というのがいちいち決まっていて、あるべき姿でなければ社会からは奇異な目で見られたり排他的な感じで扱われるような事ってザラにありますよね。世間の目は変えられないから、こんな風になった自分が悪いんだからと諦めてひっそりと生きてきた人が沢山いると思います。

それから窮屈ながらも無理に世間に合わせて当てはめた自分を演じて自分本来の魅力を無いものとしていたような人もいるでしょう。

外の目に合わせていても自分自身である感覚から外れれば偽った自分が好かれているような気分でとても空虚ではないでしょうか。

自分がもっと魅力的に成りたいからとか、こう見せたいんだと願って変わる努力をする事とは全く違うベクトルを向いているので余計に苦しくなってしまうのではないかと思います。

今こんな風に沢山の疑問の声が上がるようになったという事はもう本来の自分でいたいという人がそれだけ多いって事なのかなと勝手に解釈しています。

それぞれ細かい事情は違うけど、今回の批判メッセージの根源は「大きなお世話!もう放っておいて!好きにやらせてよ!」という感じなのかなと個人的に解釈しました。

どんな立場であれ"人"として見る事が今後はもっと進んでいくのかなと思います。

誰しもが他人を面白がらせるため喜ばせるためではなくて自分を生きる為に生まれてきたんですから。