RINOの何でも帳

頭の中をアウトプットする雑記帳。

夏休みの宿題代行に思う事

メルカリなどで夏休みの宿題代行の出品が禁止されるというニュースを以前見たのですが、宿題代行なんていうシステムがあるのかと驚きました。

お金を払えば宿題代わりにやってくれるとか最高じゃないか!と。

 

自分は夏休みの宿題はギリギリ終わらせるか終わらせずに提出しない人でしたので、とても画期的だなと思いました。

自由研究の朝顔は早々に枯らし、工作は紙粘土を丸めて潰しただけで鍋敷きとして無理やり成立させ、読書感想文はあらすじ丸写しで最後に「この本を読んで私はとても感動しました。」だけ書いて終わらせる始末でした。

 

その代わりと言ってはなんですが、ラジオ体操やプールはやる気満々で出席していました。

 

起き抜けにラジオ体操して家に戻って、夏休み子供スペシャルのスラムダンクを見ながら遅めの朝食を食べた後プールに泳ぎに行って家までの帰り道は同級生と駄菓子屋に寄って友達と駄菓子を食べながら、たわいもない話をしながら家に帰ったのち即シャワーを浴びて、また遊びに出掛け夕焼けチャイムが鳴るまで遊び、帰宅して晩ご飯を食べてお風呂入って早々に床につくという今考えればかなりのハードスケジュールでしたね。

宿題はサボりましたが遊びや体を動かす事に対してはとにかく真面目でした。(?

 

そもそも夏休みに何故大量の課題を出されないといけないのか、昔から本当に疑問でした。

休みは休むためにあるんですよ。

学校の授業の延長をやってたら休みじゃ無いじゃないですか。

 

苦手な事は誰かにやってもらって得意分野を伸ばしていけば良いんじゃなかろうかというのはゆとり世代の考え方でしょうか?

というか仕事でも何でも適材適所というものがあるので自然とポジショニングは決まっていく訳で、誰かに頼むという事は避けられないです。

仕事する中でオールマイティに何でもかんでも全て出来る人ってそうそういないと思うんです。 

一人で出来ているつもりでもどこかで必ず誰かに手伝ってもらっている場面てありますよね。

それに一人で全てを抱える事が一番危ない事だというのも今となってはわかります。

社会ってお互いの苦手なところを補い合うから仕事になり商売も成り立つんだなと最近気づきました。

その前段階として人にものを頼むことを知っておくと自分のやるべき事やらない方が良いことが早々に理解できるように思います。

 

他の人にお手伝いをお願いする事するのってそんなに悪いことかな?なんていう考えはやっぱり甘いんでしょうか。

 

それに本当に自分のやらなきゃいけない事であれば、そこをすっ飛ばしてきた分だけのツケを払う時が必ずやって来るので、その時に泣きべそかきながらやっても遅くはないんじゃないでしょうか。

そして大人になって社会のシステムを知った時にもっと勉強しておけば良かったなと自分の詰めの甘さを後悔する事も通過点としては悪くないんじゃないかと思います。

 

本当に興味を示すものは自分から学びたい欲みたいなのは人間に備わっている気がしています。

その時に石に齧りついてでも必死こいて学んだり、知りたい事を理解できた気持ち良さを感じた方が後々身になりやすいではないかなと勝手に考えているのですが、何で9月も中旬に差しかかろうとしているのにも関わらず熱く夏休みの宿題やら社会がどうとか何様のつもりで語ってるのか分からなくなってきたのでこの辺で終わりにしようと思います。