RINOの何でも帳

頭の中をアウトプットする雑記帳。

何やっても認めないような人に認めて貰おうとするのはやめよう

私の中で無駄な事ベストワンに入るのが

「何やっても認めないような人に認めて貰おうとする事」

なんですけど、本当にこれ時間の無駄だし他人に左右されまくって気持ちが落ち着かないしただの徒労で終わるんですよね。

で、いざ認めてもらっても嬉しいどころか今更てめーに認められても逆になんかムカつくわみたいな気持ちになるんですよ。

あれだけ躍起になって膨大な時間と労力を注いだのにも関わらず手に入れたのは只のゴミみたいな心境に似ています。

何やっても全く認めない人に限ってあたかも批評家のような振る舞いをするので如何にも影響力がありそうな感じがしますが実際には大した事はないです。

 

そもそも「誰かに認めてもらう」という気持ち自体がズレていて、自分自身や自分の周りを取り巻く物事や事情を理解して尚且つ正当に認める他人なんてものはこの世にはいません。

誰もが相手のことを断片的に見ているからです。

例え自分の行動や考えを全て示したとしても自分の思う通りに認められる事は不可能です。

なぜなら相手にも相手なりの常識や指針、好みなどがあるので、自分の思想や行動をそのままにありのまま見てもらうということが出来ないからです。

それを逆手にとって相手が好みそうな言葉や行動をすればそれなりに受け入れてもらえるかもしれませんが、それは自分自身を認めて貰えたというよりも単に相手が好みの物だけに反応したという事なので本当の意味で認めて貰えたということにはならないでしょう。

他人好みに振る舞う自分を好きでいられるならそれで良いですが、私の場合はいつかどこかで爆発してしまうのが関の山です。

 

なので他人に特に何をやっても自分のことを認めて貰えない人に認めてもらうという事は私は辞めることにしました。

 

それに認められない人に固執するよりも、冷静に周りを見渡してみると自分の事を認めてくれる人が沢山いるのです。

その人達は声は大きくないかもしれない。万人に分かりやすく自分の良さを声高らかにいう存在では無いかも知れない。もしくは無言でただ見守っている存在なのかも知れない。

自分の思う通りの認められ方をしていなくても確実に認められている事に気付き真っ先に感謝するのが先決ではないかなと思います。

 

それに自分を認めて欲しいと他人に物乞いする前に、自分自身を認めた事って生きてる中でどれくらいあるでしょうか?

誰かに見られていなくても、やってきた事沢山あるはずですよ。

例えそれが大きな功績でなくともです。

毎日会社に通う事、誰かにさり気なく優しぐした事、数十円でも募金した事、友達の話を親身になって聞いた事、なりたい自分になる為に努力してみたこと、欲しい物のためにお金を稼いだ事などなど沢山あるはずです。

そんな自分を自分で認めなくてどうするんですか。

そんな事は些細な事だと、当たり前な事だと切り捨てるのは謙遜ではなく自分に対しての冒涜ですよ。

自分を認めるのは難しいとはよく言いますが、今日一日やったことを羅列して眺めてみるだけでも「自分ってこんなに行動したんだ」と思えるはずです。

 

その時、もう何やっても認めてくれない人の顔なんてのは忘れている事でしょう。