RINOの何でも帳

頭の中をアウトプットする雑記帳。

出来ない人を切り捨てた先に

今年の目標は心温まる交流や関係が出来ればいいし、自分もそうでありたいという事を掲げていますが結構難しい話しだなと年明け10日ほど経って思う訳です。

なんせ人間関係というのは単純そうで複雑に思惑が絡み合うような場面が多く、頭を抱える事っていうのが多いですから。

悩みの上位は大体が人間関係だったりします。

それでも生きている限り人と関わる事は不可欠なので出来るだけ気持ち良く人と関われたらと目標を掲げたのですが、さて今年はどうなる事やら。

そんな事を考えつつ、人間関係の陰影が最も色濃く出るバンドという活動をしている私ですが幸いにして大きな亀裂というものはまだ経験していません。

何度か誤解やすれ違い、言い合いなどは有りましたが今のところは円満に解決しておりマイペースに活動を継続しております。

これもメンバーの気遣いや暖かさがあるからこそで今でも頭が下がりますし心から感謝しています。

それとは別に様々な人間関係を色々と眺めていて学ぶことが多いなぁと思う事があったので書きたいと思います。

 

最近私がとても刺さった言葉があります。

「あいつはできない奴だ、
と切り捨てる側の無能。」

これは、北海道を主にチェーン展開する「根室花まる」という回転寿司のお店が入社案内でパンフレットに掲げたタイトルなんですけど、すごく良いなぁと思いました。

 

自分自身も「あいつはダメで出来ない」と決めつけて付き合っているなと思い当たる事があったし、それを言葉にしなくても態度で滲み出ていただろうなと思うからです。

自分だって出来ない事が多いのに。

 

こういったことを振り返ると「人の内面を見て関係を育む」というプロセスがすっぽりと抜けているなと気付きました。

自分の思う通りの展開でなければいけないという固執した考え方で人と接すると大きな亀裂を生んでしまうことがあります。

自分が切り捨てた人たちは本当は出来たかも知れなかった人たち。

自分が可能性を引き出せなかっただけ。

というか本人の能力を正当に見極められなかった自分自身の考えを改めるべきだったんです。

 

出来ない人よりも「決めつけて切り捨てる人」の方が人間関係の癌だったりします。

そして、それは誰でもなりうるという事です。

 

あいつは出来ない奴だと決め付けて切り捨てたいという考えに至る場合どこか察して欲しいとか分かって欲しいとか依存的な思考で行動している場合があります。

そもそも自分様はどこまで相手の事をマトモに見ているのか。

コミュニケーションは今までスムーズに取れていたのか。

具体的に物事を話しているか?

気持ちがどこまで通じているのか?

言わなくても分かるだろうという甘えがあったのではないか?

相手を色眼鏡で見ていないか?

立場や状況で人を判断していないか?

など、相手の本質から逸れた物の見方をしてしまいがちです。

 

今になって思うのは、めちゃくちゃ出来る人や能力があっても心が冷たい人や意地の悪い人、捻くれた人よりも仮に能力が人並み以下でも性根が良い人や優しい人と一生付き合いたいですし、能力の差なんてのは上には上がいるので秒で追い抜かれるし心の暖かさを感じる人と付き合って行った方が人生的にも豊かなんじゃないかなと思います。

 

出来ない人と決めつけて切り捨てた先には、自分の思慮の浅さを露呈するだけで人間を道具としてみていない無機質さしか残らないんじゃないかなと。

私は自分の時間を無味乾燥なものにしてたまるか、という思いなので出来るだけ今在る関係は大事にしようと思います。