RINOの何でも帳

頭の中をアウトプットする雑記帳。

好きなものは何があっても手放さない事が生きていく上で大切な事

好きなものは何があっても手放さない事が生きていく上で大切な事だなとここ数日考えていました。

小学生の頃、習い事で水泳をしていたのですが水に入る感触や泳ぐことを覚えるのが本当に楽しくて上手いわけではなかったけどずっとやっていたいなと思っていました。

大会に入賞するわけでもなく、誰よりもスピードが速いなんて事もなかったですがとにかく楽しく泳いでいました。

下手の横好きと言われてしまえばそうかもしれません。

しかし中学に入学する際に部活に強制的に入らなくてはいけない校則があり、習い事を続けるにも大会の入賞歴やずば抜けて上手いなどアピールするポイントがないといけない決まりでした。

しかもちょうど入学の年に水泳部は廃部になってしまったので入りたい部活が無くなってしまったきっかけで友達と一緒に自分の意思なくバスケット部に入ることにしました。

 

適当に入部したバスケット部ですが、これがまぁつまらなくて驚きました。

唯一楽しみにしていたバスケットシューズ選びも顧問が懇意にしているという業者のクソダサいバッシュでした。

ユニフォームはまぁそれなりにカッコよかったんですけど、気分が上がらないというかその時点でもう萎えていてどうでもよかったような気がします。

筋トレもつまらないし、たかが一つ上に生まれただけで敬語を使わなければいけない先輩も大嫌い。

後輩というだけで先輩のために湿布買いに行ったりスポーツドリンクやら麦茶やら作らないといけない事など本当に面倒くさかった。

肝心のプレイスキルはというとこれがまぁ下手で身長も大して高くないのにスラムダンクでいうゴリのポジションになった訳です。

大してモチベーションも高くないし上手くもないメンバーだったので超弱小チームでした。

練習になんか身に入らず他のメンバーと好きな人の話をしたり流行りの音楽聞いたり繁華街に遊びに行ったりと部活外の活動の方が余程楽しかった。

しかし、楽しいんだけども何か満たされないというか思春期特有の感覚なのか大事なものを置いていったような気持ちがいつもありました。

その時は見ないようにしていたけれども自分の中で好きなものを失ってしまったという気持ちがいつも何処かにあったように思います。

中学後半と高校生時代それなりに遊びやらメイクやら外見を整えたりと普通の学生生活でしたが埋まらない違和感は引っかかり続けていました。

ある時カラオケで友達と歌った時に、水泳で感じていた気持ちが踊るような感覚が戻ってきました。

これだ!というシックリ感をはっきりと感じたことを覚えています。

それから歌う事が好きになったのです。

歌が好きな事は手放しちゃいけないなと何となく思っていたのですがまた成人するまでに何度かこのシックリ感を見て見ぬ振りをしてしまうわけですが、まぁ色々あって取り戻して今はシックリ感がガッチリとした軸に変わっていったわけです。

好きなことは手放す喪失感というのは結構な尾を引きますので、どんなに下手でも評価されなくてとも好きなものに繋がり続ける事で生きる上での充足感につながっていくのだなと思いました。